November 03, 2009

願いの叶う…、作者の意図は?/『猿の手』3

猿の手

























●猿の手
●原題;The Monkey's Paw
●作者;W・W・ジェイコブス/W.W. Jacobs
●出版;Oxford Bookworms Library
●DATA;語彙400 総語数4900 YL1.9 SSS難易度レベル1

 本書は、非英語圏に住む英語学習者のための本。語彙数は初心者向けの400だが、はらはらどきどき感は十二分に味わえる。高校生の時、創元社文庫で読み、つくづく「巧いな〜」と思った。最近の事件報道で、この話を思い出した。簡単なあらすじとあれこれ雑感など…。

●あらすじ

 穏やかに暮らすホワイト夫妻。ある日、旧知のモリス軍曹から不思議な力を持つ“猿の手”を話しを聞く。軍曹は、“猿の手”には魔力が宿っており、持ち主の“3つのねがい”をかなえてくれると言う。老いたホワイト夫妻には、家のローン200ポンドが残っていた。モリス軍曹の忠告は「願いがかなうが、それはけっして幸せなものとは限らない」だった。“猿の手”を譲られ、半信半疑のホワイト夫妻だったが、“猿の手”に200ポンドを願う。良いニュースを待っていた夫妻に届いたのは…。つづきは本書、または“怪奇小説傑作集 1 英米編 1 /(創元推理文庫) ”でお読みください。

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 先月、弟の国の人(=弟の意)と、宝くじを3枚買った。ケチ臭い小額だが、3000円は痛い。ささやかに!、3枚は900円なり。この中の1枚が高額当選すれば、「あれを買おう、これを買おう、もしかしたらペットを誰かにお願いし、旅行にも行けるかも…」。欲望はどんどん花開き(汗)、最後はラスベガスでスロットをしていた(妄想<<<笑)。900円分の「くふふ。。。」、十分楽しんだが、結果は「あはは〜」。妄想系で、また900円ぐらい買っても良いと思ったりする。

 宝くじは、3つのお願いどころか、たくさんの望みが叶う(かもしれない)。と、言っても、金銭で買えるものに限るのがミソ。金銭は努力を比例して、得る確率は上がる。だが、夢のような一攫千金は努力とリンクしないらしい。その努力と相関しない部分に、庶民の夢を叶える物語が生まれる。本作も、そんなささやかな望みを持った老夫婦の物語として始まる。最初ののぞみは、家のローンを返済する200ポンド。100年前のイギリスの老夫婦の願望だが、家のローンの負担は今も昔も変わらないようだ。この望みが、皮肉だし、笑える。

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 誰も思う。簡単に望みが叶う秘密のアイテムがあれば…。

 『猿の手』は古典的な名作だが、普遍的な問題提起をしている。作用と反作用、エネルギー不変の法則、とにかく、努力のない場所に現れた富には、マイナスの揺り返しが必ずあるらしい。類似作とは、ステーブン・キングの『ペット・セメタリー』があった。こちらの望みは『猿の手』をもとネタにしている。

 人気TVシリーズ『スーパー・ナチュラル』にも同じ発想のストーリーがあった。ラッキーな出来事のあと、同じ分量のアン・ラッキーが発生する。簡単に得たものは、簡単に失う。判っていても、努力なくして、成功を得る、欲望を満たすアイテムはないものか?。お伽話の作者は、さまざまなラッキーアイテムを作り出し、幼い読者の心にウキウキ、ワクワクする怠け者の天国を届ける。だが、『猿の手』の作者W・W・ジェイコブス/は、「そんな虫の良いラッキー・アイテムなんてないよ」と冷笑する。

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 欲望を抑え、人として平穏に暮らす技は?、

 こだわりを捨てる知恵、トンマで軽く生きることではないだろうか?。日頃、大抵貧乏、最悪なことに重症の収集癖。毎日、贅沢、美食とは縁遠いが、そこそこ生活している。白馬の王子さまは、道路交通法違反になるので、今はいないらしい。ロマンチックと贅沢は仲が悪い。NHKBSの番組予告で、昔の歌謡曲が流れてきた。

       ◆

 たとえばわたしが恋を
 恋をするなら
 4つのおねがい
 聞いて
 聞いて欲しいの
 ひとつ…(中略)
 最後は秘密にしてね


     ちあきなおみ“4つのお願い”

       ◆

 もし、猿の手を入手したら?
 最初のお願いは吟味した方が良い。
 最後は、「ひみつにしてね」か…(汗)。

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November 02, 2009

拡大する欲望…その先の先/『猿の手』1

最近のニュースを騒がしている、結婚詐欺事件のことなど。
※怪奇短編『猿の手』の雑感のつづきです。続きを読む

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October 31, 2009

ハローウィンの夜に/10月の雑感4

眠るジプシー女

















●眠れるジプシー女●
●title: La Bohémienne endormie
●PEINT DATA;1897年 129×200cm 油彩・画布
       ニューヨーク近代美術館所蔵
●作者;アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー
    Henri Julien Félix Rousseau,
●PARSONAL DATA;1844年5月21日 - 1910年9月2日
        19世紀〜20世紀フランスの素朴派の画家

 どれほどの眠りが私を捕らえるのだろう
 眠りの底はどこまで深いのだろう
 ここが熱砂の砂漠であっても
 夜の月は眠りを留める

 月光の下
 獅子が吼える
 孤独な眠りと眠りの孤独
 眠りは死の底を掬い
 そして、私は今日を忘れる


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 アンリ・ルソーの代表作。

 多額の借金を抱えていたルソーはこの絵を売却したいと故郷ラヴァル市長に手紙を書く。だが、絵は思惑どおりに売れなかった。ルソーは困窮の中で病死。この絵は、長く行方不明だったが1923年に発見される。所有者(サイモン・グッゲンハイム夫人)の寄贈により、現在はMoMAが所有している。

◆◆◆

 今日はハロウィーン(Halloween)。カソリックの記念日“カトリックの諸聖人の日(万聖節)”の前夜との位置づけだが、起源はケルト人の大晦日。この日には、日本のお盆のように死者や魔女、精霊がこの世に戻ってくると考えられていた。日本のお盆と同じように、ランタンで夜の道を照らし、お墓参りをする地方もあるらしい。

 昨年の今日(10/31)、弟の国の人(弟のこと)が交通事故を起こし、廃店舗に自家用車で激突した。幸い車が大破しただけで、本人は逆さになった車の座席から救助された。実際に事故現場を見たなら、大怪我、あるいは死亡事故の様相だったらしい。腹を見せつぶれた車体、店の4枚のガラス戸は粉々になり、中の什器も壊れていた。幸い、現場には誰もいなかった。

 昨年の今日から、幾度も謝罪に行く。修理の現場にも立ち会った。無事、店舗は新しく外装内装され、事故以前からの雨漏り修理も済み、生き返ったようになった。だが、店舗の持ち主との示談交渉は難航。相手が不明瞭な現金を要求するに至っては、保険会社の交渉にまかせるしかなかった。先方の頑迷さに、一時は示談成立を諦めたこともあった。4月中旬、保険会社担当者の上司と一緒に示談の苦情を聞きに行く。夫妻に親戚の男まで登場し、詭弁と嘘、誹謗中傷、罵詈雑言の嵐に出遭う。嵐の行過ぎるのを土下座状態で1時間ほど待っていた。その時、頭の中で静かな水音を聞いていたように思う。難航していた示談交渉もこの嵐の日を境に動き出した。だから、水音を聞いたのも悪くないと思うことにした。

◆◆◆

 この1年、そんな弟のトラブルから始まり、弟の健康・精神状態の不安定、父の病状の悪化や知人、親戚の死去が続き、災厄の連続だった。明日から、ケルトの新年なら、この災厄が終わることを切に願う。そんな非日常が連続した毎日を、ゴスペルなど歌の輪に加わることでしのいでいた。大晦日(ケルトの)の今日、つくづく毎日を反省すれば、

 すべきことを何もしていない

ことに気付かされる。私はアンリ・ルソーの絵の女のように、砂漠でライオンを頬を舐められながら眠っている。眼を覚ませば、命を失うかもしれない。だが、眠っている女をライオンは襲わない。この“眠る”と言う比喩を分析すれば、無意識の世界にこそ、解決方法、自己実現がヒントが隠れているということではないだろうか?

◆◆◆

 今日、一昨年遊びに行っていた人形教室の先生に会った。

 昨年まで展示に先生は無関心だった。公民館勤務の知人に依頼され、公民館や市民ギャラリーの展示をしていた。昨年どおり、展示作業をするつもりで出かけた。だが、知人の姿はなく、困惑した顔の公民館職員…。仕事でも、趣味のサークルでも、潮時、去り際と言うものがある。ただ置くだけの展示を、所在なく眺めていた。

 神仏との結縁、運命的な友人、愛すべき知人との縁は、どんな歳月を挟もうとも変わりはしない。だが、世の中には“縁なき衆生”がたくさんいる。誰とでも「努力さえすれば結縁できる」と思うのは、思い上がりであり、おた〜らく(方言;お気楽、世間知らずの意)な勘違いに過ぎない。永遠の平行線しか辿れない人もいる。昨日、高齢者コーラスとも平行線を感じた。12月までの会費を支払い、来年以降は参加できないと告げた。「事情がわかれば、金を払えとは言わない」とは世話人の弁。「…」、平行線の所在は音楽に対する考えの違いだろう。

◆◆◆

 そんな人の縁を見極め、少しでも悪心を抱かないように暮らす。それには「無意識のサインに忠実になるのが良い」と、この絵は教えてくれている。昨年の10月31日から、私は見えない旅で出ていた。物見遊山の旅の終わり、路銀は尽き、土産に音楽(女の楽器)が残っただけ。傍らのライオンは、大いなる智慧のシンボルであり、災い多い現世(うつしよ)の監視者だ。一つの災いが去ったことを獅子は女に告げている。自己に内包される偉大なる智慧、それは俗世の中には潜んでいない。

と、絵を勝手に会話し、ケルトの1年の終わりとする。

 明日から、新しい1年の始まり!!。良いお年を!(笑)。

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October 30, 2009

地デジと勧誘電話3

たわいない日常雑記です。続きを読む

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October 24, 2009

カムイの闇は現実のメタファー/『カムイ外伝』松山ケンイチ主演4

カムイ・1

















●カムイ外伝●
●原作;白土三平(スガルの島)
●監督;崔洋一
●脚本;宮藤官九郎/崔洋一
●出演;松山ケンイチ/小雪/伊藤英明/佐藤浩市/小林薫/
    大後寿々花/金井勇太/芦名星/土屋アンナ/PANTA
●DATA;松竹 2009年9月19日公開

 9/20(日)、高崎イオンシネマで鑑賞。思い入れの大きな原作だった。なんとなく重くて、一ヶ月近く感想が書けなかった。“カムイ”を文字変換すると“家無為”と出る。本来は、怪人万丈が叫んだ「カムイ〜〜〜!」が名前の由来であり、“自然の力が宿ったもの”の意味もあろう。アイヌ民族の言葉、“カムイ=神威”が文字変換で正しいのだと思う。だが、無作為に変換された“家無為”は、カムイの運命を表しているようで、少し悲しかった。さてさて、あらすじと感想など…。

●あらすじ

 カムイ。卑しい谷生まれと差別され、自由と誇りを求めて忍者になる。だが、忍者の世界も非情な掟に縛られた上下社会。無残に人を殺さなければ己が生きられない世界だった。カムイは日置藩の秘密を知り、命の危険を感じる。掟を破り抜け忍者となったカムイ。自由はなく、つねに追忍から命を狙われる日々が待っていた。かつての仲間を殺さなければ、生き残れない世界…。

 カムイ同様、忍びから逃れた女がいた。多数の追忍に囲まれたスガルは、断崖から落ち海に姿を消す。追忍の中に、まだ少年だったカムイがいた。スガルはカムイを殺さなかった。それから長い歳月が経過する。今は、カムイが追われる身だった。

 カムイが追忍と死闘を繰り広げている同じ森で、鹿を狩る藩主の姿があった。藩主は愛馬イチジロを大事にしていた。そのイチジロの足を切り落とし、殺した男がいた。カムイを無謀な男を助ける。逃げるカムイは男の操る小船に乗り、男の住む島に向かう。荒れる海、波に翻弄され沈むそうになる船から、カムイは落とされる。命を助けた男半兵衛は瀬戸内の奇ヶ島(くしきがしま)の漁師だった。カムイを海に蹴落とし、半兵衛が口にした言葉は「俺には守らなければならない女房・子供がいるんだ。勘弁してくれ」だった。荒れる海、カムイは波に飲まれ消えていく…。そして>>>つづきは劇場でどうぞ!!


カムイ・2

















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 しのびがとおる
 けものみち
 かぜがカムイの
 かげをきる
 ひとり ひとり
 カムイ


 以前、書いたが私の中の美少年キャラ代表(?)は“カムイ”だ。華奢な手足と、赤い目、若い娘に見間違えられることさえある容貌。少年サンデーの連載や、TVアニメに、どれほどのワクワクして見とれていたことか…。と、言っても小学生のアホ子供、今風の美少年と言う概念とは、遠い場所で憧れていたのだろうが…。とにかくカッコ良くて、ニヒルで、軽やかで、マイフェバリット!!なアイドルだった。

 1960年代後半から1970年頃。当時、世の中は忍者ブームだったらしい。アニメでは『風のフジ丸』『サスケ』、映画では『ワタリ』。すべて白土三平氏の作品だ。他、『仮面の忍者赤影』や『伊賀の影丸』『忍者部隊月光』なども大人気。怪獣映画と一緒に2本立ての映画館。生温かい暗闇で甘いノシイカを食べつつ、忍者の世界に浸っていた。

 今はシネ・コンプレックスで忍者映画を観る。ゆったりとした座席、甘い(やはり甘い)キャラメルかけポッポコーンの香り…。ワクワクする暗闇は、今も昔も変わらない。本作『カムイ外伝』は、昔の忍者映画と変わったか?。

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 正直なところ、上質のハリウッド製中国映画の極上のワイヤーワークや画像編集を見慣れた眼には、本作のアクションシーンは物足りない。松山くんは極貧のカムイには似合わない(個人的な見解)品の良さと人の良さが漂う。スガル役の小雪さんは、とっても優しそうだ。土屋アンナさんの側室アユも化粧が現代的???。そんなこまごました文句はあっても、原作の世界観は圧倒的。寒さ、暑さ、苦さ、血の匂いのする映画に仕上がっていた。 

 映画の冒頭、『カムイ伝』の世界観が説明される。時代背景、カムイの生い立ち、忍者の世界などなど。本作の大きな根幹にあるのは、虐げられた差別される人々。それは、大和朝廷にまつろわぬ人から始まり、平安から戦国時代、繰り返される戦禍で難民(無戸籍者)になった人、嫌われる職業に従事させられた人であったり、使用人として酷使される人でだったりする。出自、土地、生まれ、職業、貧富、差別は入れ子細工のように中に中に繰り返され、差別が差別を生んでいく。『カムイ外』は、学生運動が華やかだった頃生まれた、差別からの解放、身分闘争の物語なのだ。

 差別からの解放を描いた『カムイ伝』を日本生まれで韓国籍を持つ崔洋一監督がメガホンととった。それは、身をもって差別的な日本社会を知っている監督には、至極当然のように思う。だが、反面、何故日本人が『カムイ伝』の世界を正面から描けないのか?。そのことに問題の解決がまだ容易でないことを思い知る。明治期の記憶がまだ濃厚だった頃、戸籍に関わる差別は大きな社会問題だった。住井すゑさんの『橋のない川』や島崎藤村の『破戒』などで、私たちはその差別を知るだけだが、田舎の年寄り、因習的な人から、結婚に関して、この差別的な話題を聞くことがある。なんともやるせなく、嫌な気分になるのだが、根の深さ、民族の持つ暗部の不幸の深刻さを考えることになる。

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 その視点で、今回の『カムイ外伝』を観る。カムイの差別は少ない場面でしか描かれていないが、映画の重要なモチーフの中に、差別された人が多く描かれていた。鮫退治をする渡り人、刑場に処刑人、離れ孤島の漁民、皆、望むと望まざるに関係せず、その境遇にいる人たちだ。カムイもスガルも孤島で一時の安住を得る。それは、海人もまた大和朝廷に服従しない人の末裔だからだろう。ヒステリックに殺生を嫌った江戸時代にあって、年貢を納める農民以外の庶民は、必ず何かの差別構造に閉じ込められてた。命令で人を殺すことから逃げるカムイ、だが、自由を求め、自分の命を守るために、たくさんの人を殺さなければならない矛盾…。

 それは貧困という不自由から抜け出すために、服従という掟に縛られ搾取される現在の雇用問題に似てはいないか?。地方都市の旧繁華街は死滅した廃墟のさまだ。個人商店の経営という自由を守れる才人は数少ない。腕の立つ剣客のようなもの。多くの早期退職の起業家は、追忍に終われ命を落とした抜け忍のように脱落していく。カムイは逃げる。逃げて、逃げて、その結果、何も生まれないのを知っていながら逃げる。若き日の面影も、逃亡の日々の中で、影を孕み、困難辛苦の歳月は続くのだ。

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 映画の直接的な感想とは離れてしまったが、『カムイ外伝』は、こんな重いテーマを持った映画なのだった。

誰も、だんだん老いていく

 老いに侵食されないために、誰も逃げる。逃げる。逃げる。家無きカムイ=家無為はどこに安寧を求めるのか?。江戸時代のような差別社会はもうない。多くの人はそう思う。だが、貧富の差は、江戸時代のように拡大している。家のない若者が、街に棲む。公園に棲む。道に棲む。目に見えない新しい差別は、深い闇のように現実を侵食している…。その現実から逃げるのか?。見えないふりをするのか?。映画は問う。

 映画の中で印象的だったのは、奇ヶ島の漁師たちが浜辺で豊漁を祝うシーン。早世した画家青木繁の描いた『海の幸』の絵のように、呪術的な運命を暗示していた。人は、生まれ、他の生命を消費しながら生を持続する。

逃げずに向き合え!。

 強いメッセージに、脆弱な私はじたばたとする。

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海の幸

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October 23, 2009

瞼の裏の曼陀羅/『曼陀羅雑感』3

胎蔵界曼陀羅



























●胎蔵曼荼羅
;詳しくは大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅といい、原語には「世界」に当たる言葉が入っていないが、金剛界曼荼羅に合わせて、古くから「胎蔵界曼荼羅」という言い方もされている。 曼荼羅は全部で12の「院」(区画)に分かれている。その中心に位置するのが「中台八葉院」であり、8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来(腹前で両手を組む「法界定印」を結ぶ)が位置する。大日如来の周囲には4体の如来(宝幢−ほうどう、開敷華王−かいふけおう、無量寿−むりょうじゅ、天鼓雷音−てんくらいおん)と4体の菩薩(普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、慈氏菩薩)、計8体が表わされる。(Wikipediaから引用)


 星の夜
 耳を澄ます
 長く細く
 鈴の鳴る音がする 
 それは宙の廻る音
 五百四十万億那由他劫
 無量大数の宙の果て
 人は何所から
 来たのだろう…


******************************* 

 最近、有名人の訃報が続く。ワイド・ショーに映し出される悲しみの景色…。

 転生を信じていれば、死は次の生の入り口になる。誰でも、愛しい人を亡くせば悲しい。だが、不自由な体に魂を長く封じこめるのは酷くないか?…。死は、魂の故郷に昇る羽化と思えれば、悲しいけれど見送れる。とは言え、紋切り型のお悔やみの報道の多くは、ブルー。やはり、ダウンな気分になる。

 一昨日、「なんだか疲れちゃった〜〜〜」と、ぐうたら寝ていた。瞼を閉じると、何か見える。瞼の裏に、曼陀羅模様がぐるぐる踊っている。切り絵のように平面的で、中心から外周に向かって規則的なデザインが放射されていく。細部を見れば、寺院・神殿の壁画のように、人物や動物、植物が繊細に描かれている。いつも、「これって何なんだろう???」と、自分の目の前の景色の余りに精妙・精微さに不可思議な気分になる。

■■■

 世の中、他の人はどうなのか?、

 ネット検索してみた。検索キーワードは「瞼の裏 曼陀羅」。
 すると、いくつか該当する記事がヒットした。

●子供の頃、見えた。
●サイケデリックな模様な見えた。
●フラクタル模様な見える。
●仏教の瞑想で見える。
●目が見たいと思うので見える(?)。

 とにかく、見える人がたくさんいる。私の頭が変な訳じゃない(笑)。だが、脳内のことなので、写真に撮って記録できるものではない。具体的にどんなものが見えているか?、比較できないのが残念だ。この現象と、麻薬による幻覚、薬物によるサイケデリックな模様も、同じ仲間なのか?。記事を読むと人によって、様々な文様が顕われるらしい。

■■■


 2009年4月22日、「超右脳革命」の著者で七田チャイルドアカデミー主宰“七田眞さん”が亡くなっていた。

 七田さんは『超右脳革命』の中で、

 まぶたの真に浮かぶ白い光とは、脳の内部、つまり間脳の松果体が活性化したものであり、この白い光が見えるようになると、物事の解答が文字ではなくイメージ(図形)で出てくるようになる。

と書いていた。

 上記の瞼を押さえて見える図形も、「子供の頃には見えたが今は見えない」とネットアンケートで回答している。ご存知のとおり、脳には、まだ未知の領域が多く存在する。機能や分担についても、まだまだ解明されていない。人は瞑想やトランスで法悦(宗教的エクスタシー)を感じる。

 仮定だが、法悦的なヴィジョンに、超越的な力は何も介在せず、単に脳内麻薬のなせる業(わざ)?。宗教家の人にしたら、ミモフタモナイ。だが、自己の存在、宇宙の成り立ちに、大いなる意志=神が存在するかの?。

この命題は永遠の謎にしておく方が得策だ。

 だが、そんな(神秘的なヴィジョンを見る)機能が脳に仕組まれているのも事実。その事実が不思議であり、その機能が備わった経緯(進化過程での必然性)こそが知りたい謎だ。このヴィジョンをコントロールできれば、人はもう一段上の存在に進化できるのかもしれない。そうした場合、リアルとヴィジョンの差はなくなり、人の幸福感が大きく変わるだろう。

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この項、参考文献探しています。のちほど追加加筆。

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金剛界曼陀羅

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October 22, 2009

瞼の裏の曼陀羅/『マンダラ塗り絵』(改訂版)3

mandara表紙

















『心の中の曼陀羅◆不眠症に悩むヒトへ』の続き。

 ストレスや、悩み、神経症などで悩むクライアント対象に、ユング派の心理療法士さん達は、マンダラを描く療法を指導している。ストレス先進国、アメリカなどでは、『マンダラ療法』の関連図書も多く出版されており、日本でも『マンダラ塗り絵』として出版されている。

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マンダラ塗り絵

●マンダラ塗り絵●
●著者;スザンヌッフィンチャー
    正木晃
●出版社: 春秋社 ; ISBN: 4393713613 ; (2005/11)
●出版社からの紹介
ユング派の心理療法士が考案したマンダラを塗るだけで、心と体が癒される塗り絵集。集中力を高め、脳の活性化にも役立つ。

◆◆◆

 心理分析・療法には、『箱庭療法』や『絵画療法』などがある。これらは、クライアントの抱えている心の問題を、作った箱庭や絵によって分析し、それによって、本人が気がつかないでいる「家庭の問題」「人生の課題」、自分の中の「コンプレックスなどを知る作業だ。それがどんな事実によって誘因されているか?これらの作業は、問題を解決する糸口になる。映画化された貴志裕介さんの小説『黒い家』では、犯人の描いた絵や詩が、心理学を学ぶ主人公の恋人によって分析され、事件を解決する大きなヒントになっていた。

 大学生の頃に、『色彩心理学』の単位が必修だった。千々岩英彰先生の授業だったが、とても興味深く面白いものだった。※先生の本はamazonでも買えるので、興味のある方は検索してみてください。

 色彩は有彩色と無彩色に分けられ、有彩色は寒色、暖色、中間色に分類される。また、ベール、ブライト、ダルなど、色の濃淡や、色彩の彩度、明度で分類され、それぞれ固有の視覚心理効果を持つ。

 この心理効果は、健康にも左右し、赤は血圧を上げ、青は血圧を下げる。赤い部屋では時間が長く感じ、青の部屋は時間が短く感じる。また赤は食欲を増進し、青は逆だ。もし、トマトケチャップが ネイビーブルーだったら?>>>美味しく感じないかもしれない。寒色系の食べ物は一般的には少ない。

mandara3←クリックすると拡大します。

◆◆◆

何故、マンダラ図形に塗り絵をすると人は癒されるのか?

 宗教的なイメージが排除されていても、マンダラは人の心に中の原型=人類が無意識の中に持つ共通の神話的イメージに直結し、抑圧され、窒息しそうになっている無意識を活性化させてくれる(らしい)。

 ユングは、『ダ・ヴィンチ・コード』で知名度の上がった『グノーシス派』の影響を強く受けた心理学者だ。彼の著作は、晩年になればなるほど、オカルト的な色彩が強くなり、けっこうアブナイ先生(汗;なのだが、彼が求めたものは、人間の中に隠れている神の遺伝子であり、内在する神の発見による、人類の霊的進化だったのかもしれない。

            クリックすると拡大します。→mandara4

◆◆◆

 検索キーワードで、相変わらず『オーラ診断』が多い。江原さんの言うオーラ色の解釈は、実にスタンダードな色彩心理学に他ならない。彼はクライアントの心理状況を、「色彩」と言う形で視神経で知覚している。それは異能とも言えるし、生来の全盲の人が、指や手の触覚で、模様や色彩を感じるとの似通っているようにも思ったりする。

と、いささか脱線してしまったが、「色は心が目に見える形で現れたもの」といった側面があるのだ。例えば「バラ色の人生」「人生お先真っくら」「気持ちはブルーなの」etc,。

 『曼陀羅塗り絵』に限らず、絵は心を癒す効果がある。自分で描く写生は巧い、下手を気にして、畏縮することがあるもしれない。しかし、図形の塗り絵は純粋に色と対話できる。色との対話は自己の心とも対話でもあるのだ。

塗り絵してみませんか?
そして、下手なんて思わないで、絵を描いてみませんか?
※2006/07/09から移動

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