July 2007
July 31, 2007
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July 20, 2007
美青年と王様。王様って大変!?/『王の男』

●王の男●
●原題;THE KING AND THE CLOWN(王と道化師)
●監督;イ・ジュンイク
●原作;キム・テウン ●脚本;チェ・ソクファン ●音楽;イ・ビョンウ
●出演;カム・ウソン/イ・ジュンギ/チョン・ジニョン/カン・ソンヨン/
チャン・ハンソン/ユ・ヘジン/チョン・ソギョン/イ・スンフン 他
●DATE;2006年 韓国 122分
観たかったのに、レンタル店での入荷が遅くやっと鑑賞。韓国では記録的なヒットと言われた話題作。芸人と権力者、女形の悲哀、今は亡きレスリー・チャンの名作『さらばわが愛・覇王別姫』への深いオマージュを感じた映画だった。あらすじと感想など…。
●あらすじ
16世紀、燕王君の頃。 両班(貴族=李氏朝鮮で科挙を受けることの出来る階級)の屋敷、招かれた旅芸人の一座が仮面劇を演じていた。両班階級を皮肉った内容を、邸宅の主人は苦々しく観ていた。芸人の中に一人の女形がいた。彼の名前はコンギル、美しい姿はどんな美女も霞むような美青年だった。夜のこと、邸宅の主人はコンギルを呼ぶ。コンギルは男娼のようなこともさせられていた。コンギルとは幼い頃から一緒に育ったチョンソンは、コンギルが男娼のようなことをさせられることに我慢が出来なかった。その晩、チョンソンはコンギルと一緒に一座を逃げ出す。逃げる時にコンギルはチョンソンを助けるために人を傷つけてしまう。
二人が目指したのは、王のいる漢陽の都だった。金のない二人は都の芸人に勝負を挑み、見事な芸を見せる。チョンソンは都一番の芸人になっていく。演目はどんどんエスカレートし、悪王として評判の燕王君と側室を揶揄したものになる。チョンソンの芝居を輿の中から見る男がいた。彼は王に使える高官だった。
チョンソンたち一座は王を侮辱した罪で逮捕される。「罪を免れるには王を笑わすことだ。」と高官にいわれ、チョンソンたちは王の前に引き出される。美しい衣服で踊る妓生(キーセン)や楽士たち、その中でチョンソンたちの一座はボロを纏い、みすぼらしいものだった。シーンとする宮廷の庭で、チョンソンとコンギルの芝居が始まった。無表情で見つめる王の不機嫌な顔、果たして王は笑うのだろうか?二人の運命は、国の命運と重なっていく…。>>>つづきはDVDでどうぞ!!
********************

以前、仮面の美術展に行ったことがある。アジアには古くから仮面劇の伝統がある。日本でも能や雅楽、神楽など、仮面劇が古くから行われてきた。仮面で演じるのは主に、神を演じること、そして権力者を演じること。それは身分の低い芸人が違う何者かになることを意味する。その美術展で朝鮮半島の仮面を見た時に、強い衝撃を受けた。それは権力者階級の仮面の醜さ、農民階級の仮面の悲しさだ。
チョンソンの被る仮面は赤ら顔で顔中吹き出物が描かれた下品なものだ。高い帽子を被ったこの仮面は横暴な両班の旦那を表すもの。両班は官吏になることの出来る身分だが、その横暴で特権的な行動は、数々の悲劇(気ままに女は陵辱、平民の金や財物を取り上げる)を産んでいる。平民やそれ以下の賤民階級から見れば、両班は悪魔悪鬼のような者だったのかもしれない。勿論、芸人は賤民階級(奴婢、白丁、僧侶、妓生、巫堂など)になる。
◆◆◆
日本語題名『王の男』は、良い題名かもしれないが、原題の『王と道化』の方が、物語の本質が判りやすい。シェークスピア戯曲などでも判るように、道化は王の側にはべり、誰も言えないような本質を王に告げる。その生死はすべて王の機嫌1つでしかない、身分の低い立場ながら、王は道化の本音を愛するのだ。それは建て前しかない、宮廷の重苦しい空気の中で、道化だけが王の魂を癒すことが出来る存在なのだ。

最初は両班への皮肉を演じていたチョンソンは、王のいる漢陽に出たことで、王と側室の噂を演目に選ぶ。王が皇后をないがしろにして妓生(日本の芸者さんのような女性)出身の側室を寵愛していること。その側室が生んだ王子は、内官(王の側にいる宦官)の子供だという噂…。それはシモネタ=下品で露骨なものだ。大らかな笑いと言うのだろうが、日本の大道芸文化とは異質な笑いなのが、興味深かった。
◆◆◆
物語に登場する燕王君は朝鮮王朝の中で暴君として名高い王様だ。『宮廷女官 チャングムの誓い』の中、チャングムのお父さんが宮廷を去ることになった原因は「燕王君の母親を毒殺する役目に参加した」ことだった。この毒殺事件は本作『王の男』の中でも、劇中劇(扮装が『覇王別姫』風だった)で大きく取り上げられている。燕山君追放の謀略で、幼いチャングムはお酒を運んでいた。チャングムファンの人はきっと覚えているシーンだ。チャングムを深く愛した王様は、『王の男』の燕王君の異母弟になる。
最近、イ・ヨンエ主演の『キム尚宮/原題;西宮』を観た(感想はのちほど)。この『キム尚宮』も宮廷もので、宮廷の裏幕が事細かく判る。李氏王朝は任命権は明にあり、両班出身の官吏は王の言いなりにならない。日本の徳川幕府や天皇とは、別物の王朝なのだ。
また、『王の男』の燕王君の母親は側室だった。側室の子供はたとえ皇子であっても差別を受けていたらしい。両班階級では側室の子供は科挙を受けることが出来ない。どんなに有能でも側室の子供は官職に就けないのだ。だから燕王君は、常に重臣に馬鹿にされていたように感じていたのは、想像することが容易い。
◆◆◆
本作『王の男』では、美しい女形コンギルと彼を庇護しながら深く愛するチョンソンの関係が物語の骨子。だが、物語の影の主役は二人を宮廷に招いた輿の重臣に他ならない。彼は最初から、結末を予想して二人を宮廷に入れている。その意味では、チョンソンとコンギルは歴史の犠牲者だ。
下品なシモネタ系が苦手な人には、キツイ部分もあるが、身分制度に縛られる封建制度の息苦しさと、王であることの辛さと難しさ、孤独、男女を超えた愛の深さetc.、『王の男』はさまざまは事を考えさせられる佳作だと思う。寝屋でコンギルと王が遊ぶ影絵や人形劇が、なんとも哀しい。
映画らしい潤沢に予算を使った宮廷セットが見どころ。朝鮮美術の真骨頂“原色”が多用され、廃退的な雰囲気を醸している。『チャングムの誓い』『キム尚宮』などはTVドラマなので、ロケが多く、宮廷内の様子も低予算であまり豪華ではないが、『王の男』では衣服やインテリア、王宮etc.、どれをとっても美しく、興趣深い。
コンギル役イ・ジュンギの美青年ぶりは必見!王様って辛い(泣)。
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July 18, 2007
天皇の時間、日本人には描けない昭和!?/『太陽』

●太陽●
●原題;SOLNTSE/LE
SOLEIL/THE SUN
●監督;アレクサンドル
・ソクーロフ
●脚本;ユーリー・アラボフ
●音楽;アンドレイ・シグレ
●出演;イッセー尾形/ロバート・ドーソン/佐野史郎 /桃井かおり/つじしんめい/
田村泰二郎 /ゲオルギイ・ピツケラウリ/守田比呂也/西沢利明/六平直政/ 他
●DATA;2005年 ロシア/イタリア/フランス/スイス 115分
レンタルDVDにて視聴。日本映画の最大のタブーは明治以降の天皇を描くことだ。第二次世界大戦を描いたもの、天皇の姿がシーンとして必須のものでさえ、シルエット、声だけが天皇を描く限界だった。本作『太陽』はそのタブーを木っ端みじんに粉砕している。ロシア人監督 アレクサンドル・ソクーロフ は見事に大平洋戦争末期まら終戦直後の天皇の日常を描いた。簡単なあらすじと感想など…。
●あらすじ
昭和20年冬、大平洋戦争の敗色濃い皇居。硫黄島の陥落以降、米軍の空襲は日本の主要都市を襲い、皇居の主要な部分は焼け落ちていた。暗い地下宮殿で毎日を過ごす昭和天皇の日々は、単調で鬱屈したものだった。唯一の楽しみは海洋生物の研究だけだった。今日はヘイケガニの標本観察をしていた。そんな短い愉しみは急襲する米軍の攻撃に寸断されていた。3月の東京大空襲、東京の中心部は焦土となった。8月、広島・長崎に新型爆弾が落とされる。ついに天皇は本土での玉砕を叫ぶ軍部の意向を押しきり、連合軍に対し無条件降伏をする。
敗戦国日本に、マッカーサー元帥が赴任してくる。天皇を招いた夕食の席、最初は横柄な態度のマッカーサーも、英会話、ものごし、卑屈にならない天皇の態度に畏敬の念を覚える。マッカーサーは天皇に「ヒットラーはあなたの友人でしょう?」と問う。天皇は「顔も見たこともありません。」と云いながら、「もしドイツが敗戦しなかったら、日本も負けることはなかったでしょう。」とも云う。
ある日、天皇の元にマッカーサーから大量の板チョコ(ハーシー)が送られてきた。丁度、進講のために招かれていた学者に、天皇はチョコレートを渡す。学者の顔色は悪く、長く続いた戦争のため痩せ衰えていた。そんなある日、占領軍の兵士たちが天皇との写真撮影のために皇居を訪れた。東京はまだ焦土のままだったが、天皇の居宅の廻りは草花が咲き、野鳥が遊ぶ穏やかさだった。口ひげにギコチない物腰の天皇を見て「チャップリンに似ている!?」と喜ぶ兵士たち。そんな兵士の無邪気で無礼な態度にも、天皇は自然体で接していた。敗戦からしばらく経ち、疎開していた皇后が帰京してくる。寄り添う二人、人間天皇の戦後が始まった。>>>詳しくはDVDでどうぞ!!
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昭和が終わってもう19年になる。荒復宏さんの『帝都物語』では、昭和天皇は“永遠に死なない存在”のように描かれていた。『帝都物語』が出版されていた頃、昭和後期、バブルまっただ中だった。亡国のような敗戦から立ち直り、戦後の繁栄を見守っていた昭和天皇。昭和64年、あの時、多くの日本人は「永遠に死なない存在であって欲しい」と願っていたかもしれない。
私はご高齢になってからの昭和天皇しか知らない。私にとって昭和天皇のイメージは、質素な暮らしをしている学者さんのようにも見えた。また、彼がミッキーマウスの腕時計を愛したことや、野球や相撲などのスポーツ観戦を好んだことなど、果てしなく遠い人ながら、敬愛と親しみを持って眺めていた。
◆◆◆

本作『太陽』は、アレクサンドル・ソクーロフ監督が、ヒトラーやレーニンを描いてきた3部作「20世紀の権力者」のひとつとして、日本映画のタブー“昭和天皇”を描いた作品。皇居地下の宮殿、小さな研究所内部、マッカーサーの接収していたホテルの一室、映画は舞台劇のように閉ざされた空間だけで描かれる。唯一、外気を感じたのは占領軍の兵士たちが写真撮影に来たシーンだけだ。
その閉ざされた空間が、日本の天皇制を強く象徴している。雅子妃殿下のストレスも、過度に管理された宮内庁のシステムが原因なのは、誰でも知っていることだ。世界中探しても、こんなに不自由な暮らしをしている王族は稀有だろう。それには訳がある。日本の天皇は、外国の王家が“神と契約し王になった”のとは違って、肉体を持った神だったからだ。
神たる天皇を生身の役者が演じるのは難しい。その難しさをコメディアンのイッセー尾形が果敢に挑戦していた。形態模写の独り芝居では他の追従を許さないイッセー尾形だ。彼の観察眼は、冷徹に昭和天皇の形を写していた。過激に写すことで、彼の中に『昭和』と云う時代の霊が宿ったようだった。モゴモゴと口元を動かし、何か考える様子、タイミングの微妙にずれた受け答え、ふとした仕種にあらわれる人間的な温かさ。もう忘れてしまいかけた昭和天皇の姿が画面にあった。
◆◆◆
日本の天皇制は不思議なシステムだ。奈良時代を除けば、天皇の意向が政治を左右することは少なかった。ほとんど政治的な象徴として天皇システムは機能していた。天皇が政治の表舞台に引き出されたのは幕末以降だが、それも薩摩・長州などの討幕運動のお神輿だった。また近代、軍部の暴走を止めるだけの権力は昭和天皇にはなかっただろう。だから、敗戦を決めた玉音放送(実際録音は秘密裏に行われた)は奇跡のような出来事だっただろう。
こんな事を書くとご意見の違う方も多いと思う。だが昭和って時代までは、象徴天皇の意味することは、“天皇=日本霊”だったと云うか、日本と云う国土にもし神霊がいるならば、天皇だけがその神霊を“体に宿した存在”だったと云うことだ。日本がどんどんアメリカ化し、日本霊の存在が希薄になっていくのは、真の意味での天皇制は昭和で終わったからかもしれない。余談だが、GHQは多くの旧宮家を廃絶した。それは将来、天皇家の跡継ぎがなくなり、天皇家が絶えることを予想した謀略と云われている。
◆◆◆
劇中、ほの暗い部屋で、天皇がアルバムを見るシーンがある。皇太子の写真を愛おしく見つめるシーンは印象的だ。ラスト近く、良子皇后との会話も不思議なリアルさで迫ってくる。
昭和を考える時、日本って国のアイデンティティを感じざるを得ない。大東亜共栄圏の野望と失敗、アメリカを受け入れることで得た繁栄、その底辺にはアジア軽視があり、日本人の奢りがある。将来、どんな日本になるのか?日本にするのか?本作『太陽』はそれを考えるきっかけを与えてくれる映画だ。
最近、GHQで撮影され、未公開だった昭和天皇の写真が大量に発表された。笑顔で破顔している昭和天皇の姿は、新鮮で驚きがあった。まだまだ昭和は秘密が多い。
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July 15, 2007
青年の顔になったハリーたち/『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

●ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団●
●原題;Harry Potter and the Order of the Phoenix
●監督;デビッド・イェーツ
●脚本;マイケル・ゴールデンバーグ
●出演;ダニエル・ラドクリフ/エマ・ワトソン/ルパート・グリント/
マイケル・ガンボン/アラン・リックマン/イメルダ・スタウントン 他
●DATE;アメリカ/138分/:ワーナー・ブラザーズ
高崎109シネマズにて,先行上映で鑑賞。大型台風も大過なく通過したが、災害地域の皆さんは本当にお気の毒だ。もうすぐ選挙だが、治水や災害対策に強い政府って本当に必要なことだと思ったりする。権力闘争に明け暮れていると、悪の本質が見えないことになる(?)。って、今回のハリーは悪の本質!?が見えてくる。
●あらすじ
夏休み、またペチュニア叔母さんの家に帰省しているハリー、彼は毎夜、悪夢に悩まされていた。一人、公園にいるハリーのところへ、従兄弟のダドリーが仲間たちと一緒に嫌味を言いに来る。相変わらずのダドリーの態度に怒りを抑え切れないハリー…。ハリーの心に呼応するように空が暗雲に包まれる。急の雷雨の中、異様な気配に逃げるハリーとダドリー、二人にディメンター(吸魂鬼)が襲いかかる。
守護霊召還の防御魔法で、なんとかディメンターから逃れたハリーだったが、帰宅した彼に魔法省からの手紙が届く。その内容は「17才未満の魔法使いはマグル(一般人)の前では魔法禁止」の法律を破ったハリーに、「魔法学校の退学」を通告したものだった。一方的な処分に、ダンブルドアは異議を申し出、ハリーは魔法省での裁判に出廷することになる。何故、アズガバン監獄を守るはずのディメンターが、マグルの住む街に現れたのか?それはこれから始まる死闘の前触れなことをハリーはまだ知らなかった…。>>>つづきは映画館でどうぞ!
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前回の『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』では、全面に陰鬱な雰囲気が充満していた。悪の復活、仲間の死も含め、魔法の世界のダーク・サイドがひしひしと感じたが、今回は少し違う。ハリーたちの属する魔法使いの世界も、やはり人間の世界と同じようだった。権威主義、事なかれ主義、政治的な思惑がハリーたちを悩ます。そして、欲望や思い込みが、本質を見る眼を曇らせることが描かれる。
ハリーがまだ11才だった頃の魔法学校は、驚きと楽しさが溢れていた。5年生になったハリーたちは以前のように無邪気ではいられない。今回はとんでもない破壊者(いつもどおりあの課目の先生だ)の登場で、ダンブルドア校長にも危機が訪れる。また敵との戦いも心理戦の様相もあったりで、以前のハリー映画にあったスカッ!とした雰囲気にはならないのだ。
スカッ!としない部分(?)、物語はいままであった子供っぽい楽しみ(競技会やいたずら、クリーチャーetc.)が失われ、もっと違った部分がクローズアップされている。ハリーたちの大切なものは?それは友情だったり、愛する心だったり、本当に守りたいものだったりする。「魔法が使えたら、なんでも出来る」と言ったマグル(?)的幻想は消え、魔法と言う攻撃力をどうにコントロールするか?また何のために使うのか?と言ったことを、ハリーたちは考えることになる。
■■■
第1作『賢者の石』での可愛い少年は、本作『不死鳥の騎士団』ではすっかり大人の雰囲気が漂っていた。ハーマイオニーやロンに比べるとハリーはずっと大人びているように感じる。それは彼が主役である重圧もあるだろうが、ハリー役の持つ苦悩(ヴォルデモートとの因縁)が、年よりも彼を大人に見せるのかもしれない…。今回も良い味を出しているダドリー!他、彼の両親(笑)。ペチュニア叔母さんの部屋着は必見!!あんなの日本では売ってないよ〜〜〜(爆)。
今回は、今までの回想シーンもあったりで、原作にほぼ忠実な作品になっているようだ。スネイプ先生の嫌味&イジワルも、実はなかなか訳有りだったりするもの今回明らかになる。新しく登場する悪の魔女は、ティム・バートン監督の『ビッグフィッシュ』で森の魔女を演じたあの人、眼力といかれたオーラはなかなかステキ!!魔法アクションがなかなかの迫力!ちょっとSF風にも見えたハリーの新作だった。
現在放映中のTVCMはちょっと的外れな感じもする。そこが残念!
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July 14, 2007
お仕事は、やる気と思いやり!?、/『プラダを着た悪魔』

●プラダを着た悪魔●
●原作;ローレン・ワイズバーガー
●監督;デヴィッド・フランケル
●脚本;アライン・ブロッシュ・マッケンナ
●出演;メリル・ストリープ/スタンリー・トゥッチ/アン・ハサウェイ/
エミリー・ブラント/エイドリアン・グレニアー/トレイシー・トムズ 他
●DATE; 2006年 アメリカ 110分
レンタルで視聴。悪魔好き(?)なので、観ました。軽いコメディは気楽に観ることができるが、テーマが古臭いように感じてしまった。ある意味、ノスタルジック!?さてあらすじと感想など…。
●あらすじ
アンディはジャーナリスト志望。大学では学生新聞で活躍しており、現在はインド系の彼と同棲している。NYで仕事を探すアンディは、求人欄に人気ファッション誌『RUNWAY』の編集長ミランダのアシスタント募集を見つける。早速、面接に出掛けたアンディだったが、場違いな雰囲気に圧倒され、そそくさと帰ろうとする。しかし、ミランダはアンディの履歴書に興味を持ち、秘書エミリーのアシスタントとして採用する。
毛玉だらけの青いセーター、白のブラウス、地味な膝丈のスカート、アンディのファッションセンスはゼロ!有名デザイナーの名前も知らないアンディは、秒刻みで動くミランダの仕事に大苦戦。だか、持ち前の知能指数の高さと負けん気で、どんどん仕事を覚えていく。ミランダも公私の区別のない理不尽な要求にも、ガッツで答えていくアンディは、いつしか先輩秘書エミリーのポジションを脅かすようになっていく。
華やかなファッション界の第一線で活躍するミランダ、仕事に生き甲斐を感じるアンディ…。だが、友達や恋人はアンディの華やかな仕事に違和感を感じていた。恋人の誕生日パーティの日、仕事を優先したアンディ…。二人の関係はギクシャクしていく。そして…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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同名のベストセラー小説を映画化。娯楽作としては出来の良い作品。類型化したキャラクターは映画枠と云うより、アメリカのTVドラマシリーズによくあるパターン。『101匹ワンちゃん』の悪役のような女編集長、ちょっとオカマっぽいしたスタイリスト、ダイエット命の同僚、貧乏なカレetc.、どこかで観たことのある面々だ。
物語自体、1988年作品/メラニー・グリフィス主演『ワーキング・ガール』のバリエーション。シガニー・ウィーバーが演じた女上司が、今回はメリル・ストリープの鬼編集長に変わっているが、チャンスと得るためのエピソードに“骨折”など、ちょっとした部分に類似があり、2作品を比較しながら楽しめた。

2作品の一番の違いは、ヒロインの学歴(夜学の秘書科×一流大学卒)もあるが、二人の仕事に対するベクトルの違いにある。『ワーキング・ガール』のテスは秘書付きの正社員を目指すが、本作品『プラダを着た悪魔』ではジャーナリストとして社会悪の追求を目指す。20年近い歳月が女性の社会進出を本物にしていったのか?ラスト・シーンの違いが感慨深かった。
テスは女上司を失墜させ、彼女の恋人も奪ってしまう。だがアンディはエミリーの気持ちも考え、別れた恋人ともまた関係を戻す。華やかな仕事より、社会的に自己実現出来る新聞記者を選んだアンディの選択は、ある意味アメリカ的ではない。アメリカン・ドリームと云われるような上昇指向の強いアメリカ社会にあって、「幸せの本質が変わってきた」と感じる。
◆◆◆
本作の見どころは、アン・ハサウェイ演じるアンディがどんどん洗練されて美しくなっていく様子と、敏腕編集長ミランダの仕事ぶり。実際の一流誌の編集現場は知らないが、「あんな感じ???」と興味深く見た。だが、アンディの仕事に、ミランダの子供の理科の宿題、犬の散歩、未発売の『ハリー・ポッター』の入手etc.など、ほとんど違法!?って感じもする。日本の編集は複数の編集プロダクションの分業で成り立っており、あれほどのカリスマ編集長って、なかなかいないように思ったりする。
『シャネルを着た悪魔』ではなく、『プラダを着た悪魔』なところがまた面白い。しかし、冒頭にアンディの着ていた服は、誰が考え立って常識はずれ。普通スーツぐらい着て行くものだ。そう云う意味でも、本作はお仕事ファンタジー、お砂糖をいれ過ぎたアール・グレイの紅茶のようだった。ミランダの娘の双児ちゃんが可愛い。何故、双児なのか?「ミランダは不妊治療していた」って想像も広がり、彼女の人間味を感じたりした。
難を云えばアン・ハサウェイが可愛い過ぎる。もっと普通っぽい女優さんでも良かったかも…。
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July 11, 2007
夢の機械は奇怪!?原色の悪夢に酩酊。/『パプリカ』今敏監督

●パプリカ●
●原作;筒井康隆
●監督;今敏
●脚本;今敏/水上精資
●声の出演者;林原めぐみ/古谷徹/大塚明夫/江守徹/山寺宏一/
田中秀幸/堀勝之祐/筒井康隆 他
●DATE;2006年 日本 90分
レンタルで鑑賞。昨年暮れの公開時、朝日新聞紙上での映画批評はおおむね好評。映画作品を作る時、メイン・ターゲットってものを設定する。本作『パプリカ』は、誰に見てもらいたいのか?団塊世代&オジサン向けアニメってジャンルがあるのかもしれない。さて、どんな作品かと言うと…。
●あらすじ
神経症に悩む刑事、彼を夢の中で導くのはパプリカと呼ばれる謎の美女だった。その頃、医療研究所から開発中の「DCミニ」が盗まれた。それは夢をPC画面にモニターし、夢をコントロールする画期的なものだった。そして、何者かによって「DCミニ」は悪用され、研究所のスタッフは夢と現実の境を見失い、精神を失調させていく。
自体を重くみた所長は、開発者の時田と、セラピストの千葉敦子に事件の解決を求める。敦子は「DCミニ」の中では、まったく容姿の違うパプリカになり、悪夢の原因を探査する「夢探偵」だった。未完成のDCミニは暴走し、犯人の夢が他者の現実を侵食していく。時田もDCミニの使用で昏睡に落ちいる。敦子は危険を承知しながら、夢の中にダイブしていく。夢の世界では、思わぬ敵と味方がいたのだが…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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SF界の寵児だった筒井先生は、随分前に断筆宣言したことがある。断筆宣言直前に発表されたされたのが『パプリカ』。断筆後、役者として活躍されたり、以前よりも活躍の場を広げたように思う。
若い頃の筒井先生はマンガを書いたこともあり、本作は実験的な作品とは一味違うコミック的な娯楽作になっている。原作はけっこう筒井先生らしい露悪趣味が目立つが、アニメ版『パプリカ』の方は、大人な趣味人、今敏監督のティストが全面に出て、サイケでお洒落な作品に仕上がっている。
今敏監督の持ち味は、現実と空想、幻想の重層化だ。幾重にも張り巡らされた個人的な思いが、物語に奥行きをもたらすが、それは夢の世界にも通じる思いの迷路なのだ。本作『パプリカ』では、冒頭に登場する中年刑事はルパン三世(?)のように大活躍するのだが、彼の夢はお洒落なバーを入り口に、往年の名作映画の名場面がコラージュされていく。
何故、彼の夢が映画なのか?何故、映画好きの青年が刑事になったのか?パプリカを助けながら、刑事自ら、自分の神経症の原因に到達していく。4つの人格の夢が、複雑にからみ合い、画面は緻密に描き込まれたキッチュながらくたで溢れ変えるようになるが、その1つ1つのディテールが、監督自身のトラウマだったり、偏愛だったりするのが楽しい。
映画自体、人気アニメのパロディーになっている。何度も見直して、モトネタ探しも楽しいと思う。
◆◆◆
さて、画面一杯に溢れかえる原色の夢だが、私は本作のような細密な夢は見たことがない。実際に夢の細部は曖昧なものだ。濃密、微細なディテールを持った夢はやはり病的なものなのかもしれない。
夢の中で、何をするか?行動が主である中年刑事の夢は健全だ。しかし、犯人の夢は、ガタラクと異形、異界の化け物に支配されている。どんがら♪どんがら♪と行進していくガラクタは、物欲に支配された肥大した自我そのものだ。「人を自らの王になるべきだ」とは、ある作品での重要な台詞。だが誰の心にも闇と渾沌がある。「自らの王」になることの難しさを痛感したシーンでもある。
行進の列の中心は真っ赤な着物の市松人形!?これが人相の悪いお人形なのダ。「わ〜、、、マタマタイチマツサン、イメージワルイナ!!」って思う市松マニアな私だった。
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July 07, 2007
恐怖を描きたかったのか?介護の道は別。/『明日の記憶』

●明日の記憶●
●原作;萩原浩
●監督; 堤幸彦
●脚本;砂本量 /三浦有為子
●音楽;大島ミチル
●出演;渡辺謙 /樋口可南子 /坂口憲二 /吹石一恵 /水川あさみ /
袴田吉彦 /及川光博 /渡辺えり子 /香川照之 /大滝秀治 他
●DATE;2005年 日本 122分
地上波放映で視聴。レンタル店で幾度か手に取ったが、その都度、棚に戻してしまった作品だ。非常に見るのが辛い映画だったのだが…。簡単なあらすじと感想など。
●あらすじ
大手広告代理店の部長を勤める佐伯は、今年50歳になる。彼は有能な広告マンとして、部下やクライアントの信望が厚い人物だった。家庭では恋愛結婚で結ばれた優しい妻と、結婚前に妊娠し、結婚の準備に忙しい娘がいた。佐伯の部署は大きなキャンペーンの仕事を抱え、忙しく緊張した毎日を過ごしていた。
ある日、佐伯は運転中に目眩を覚え、良く知っているはずの道を間違える。過労かと思っていたが、変調はそれだけではなかった。人の名前や、ものの名前がなかなか思い出せない。部下の名前さえも忘れるような有り様…。夫の様子が変なのを心配した妻は病院に彼を連れていく。
何ケ所かの検査の末、佐伯と妻は若い医師の問診を受ける。医師の質問はしごく簡単なものだった。「今日は何曜日ですか?」「ここはどこですか?」「これから言う3つの言葉を覚えてください。」「数字を逆に言ってください。」。医師の質問に苛立ちを覚える佐伯は、次回の受診を拒否する。
妻にうながされ、医師の診断を受けた佐伯に下された病名は『若年性アルツハイマー症』だった。冷静な医師の言葉に佐伯はショックを受け、病院の屋上から身投げしようとする。追ってきた医師は「この病気には有効な治療薬はありません。しかし、病気の進行を遅らせる治療はあります。進行も個人差があります。」と言う。死を思い留まったものの佐伯の落胆は大きなものだった。
ついには、クライアントの社屋への道が判らなくなりパニックに陥る佐伯。彼の選んだ道は…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
◆◆◆
個人的なことなのだが、おバカな子供だった。6歳頃、母にお使いを頼まれる。2つ以上のものを覚えることが出来ず、お店まで、品物を名前を言いながら行ったりしていた。それでも3つ目を覚えることが辛くて、「お使いは嫌い!」と逃げたりしていた。その後、徐々に脳(?)の発育が人並みになり、不自由なくなったが、今でもあの思い出せない恐怖は覚えている。※のちに医師に言われたのだが、早産(2週間ほど)だったことが原因らしい。
主人公の佐伯は『若年性アルツハイマー症』と診断される。彼の心中を想像すると、身も凍るような恐怖に襲われる。思い出せない恐怖を知っているからなのだろうか?思い出せないってことは群集の中の孤独のように、自分だけが人間社会から隔絶されるような感覚なのだ。
◆◆◆
佐伯が当初感じた恐怖は、仕事の現場から脱落する恐怖だったと思う。人は幾度かリタイアしなければならない事がある。リタイアの次ぎに、目的や希望があれば、リタイアはリスタートに変わる。だが、佐伯のような脳の病気だったら…。ゆっくりとした死を過ごすような恐怖がある。本当に本作『明日の記憶』は怖い…。
記憶が失われていく過程で、佐伯は過去の過ちに苛まれる。一時はグレてしまった娘、家庭をなおざりにして仕事人間として過ごした結婚生活。妻との信頼関係も佐伯にはもろいように感じられる。映画では渡辺謙さんの演じる佐伯のカンの立ったような鋭い演技が哀れさよりも怖さをより強く感じてしまう。
仕事で遅くなった妻をなじり、我を忘れて灰皿で妻を殴ってしまう佐伯…。樋口可南子さん演じる妻の額から血が一筋流れる。佐伯が戻れない道を進んでいること夫婦が実感する悲しいシーンだ。
◆◆◆
映画のような現実に直面した時、私は映画の妻のように、一人で頑張るのは間違っていると思う。娘も協力すべきだし、介護保険もあるはずだ。50歳を過ぎており、『若年性アルツハイマー症』と診断されたのなら、介護認定は受けられる。佐伯のような病人を一人で留守番させておくのは本当におかしなことだ。彼はショートステイや、通所などのサービスを受けることが出来る。毎日ではなくても良い、食事の用意もホーム・ヘルパーを利用することも出来るはずだ。
現在、『アルツハイマー症』の有効な治療薬はないが、アメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チーム(下記参照)ではカレーに含まれるターメリック=ウコンが予防や治療に有効らしいことを発表している。アメリカは日本よりも『アルツハイマー症』の発症が多い。また逆にインドは日本の1/4程度(2004の記事から)しか発症していないと言う。※インドは平均寿命が短いので、単純比較は難しいかもしれないが。
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いつか人間は生からリタイアしなければならない。それまでの日々、良き生、生き甲斐のある生活を維持するのは脳の健康が必須。医学の進歩が、一日も早く、この病気『若年性アルツハイマー症』に治療を可能にしてくれることを願って止まない。
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穏やかに流れる時間、一種の理想郷かも…。/『蟲師』アニメ版

●蟲師(アニメ版)●
●原作;漆原友紀
●監督・シリーズ構成:長濱博史
●脚本:伊丹あき、桑畑絹子、山田由香
●総作画監督:馬越嘉彦
●美術監督:脇威志
●撮影監督:濱雄紀
●音楽:増田俊郎
●声の出演; 中野裕斗(ギンコ)/うえだゆうじ( 化野)/土井美加(語り)他
●DATE;2005年 各50分 特典対談付き
2006年第5回東京アニメアワード・テレビ部門優秀作品賞受賞
●収録作品
「緑の座」/「瞼の光」/「柔らかい角」/「枕小路」/「旅をする沼」/
「露を吸う群」/「雨がくる虹がたつ」/「海境より」/「重い実」/
「硯に棲む白」/「やまねむる」/「眇の魚」/「一夜橋」/「籠のなか」/
「春と嘯く」/「暁の蛇」/「虚繭取り」/「山抱く衣」/「天辺の糸」/
「筆の海」/ 「綿胞子」/「沖つ宮」/「錆の鳴く聲」/「篝野行」/
「眼福眼禍」/「草を踏む音」
●概要
明治の頃のような架空の日本。そこには『蟲師』と呼ばれる異能の人々がいた。主人公ギンコは蟲師をなりわいにする青年。過去の出来事から、髪は白くなり、片目とそれまでの記憶を失っていた。 ギンコは、この世に偏在する『蟲』と呼ばれる生命体を見ることの出来る能力を持つ。だが、それが災いし『蟲』を集めてしまう体質でもあった。ギンコは諸国を旅しながら、蟲の研究を続けている。ギンコが出会う人々は、それぞれ不可思議な出来事に悩んでいる。ギンコはその原因である蟲の正体を見極めながら、人々と関わりを持っていく。
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最近、シリーズものの作品を観ることが多い。本作『蟲師』は、一昨年(2005)に地上波で放映されたもの。全26話、特典映像として長濱監督とクリエーターの対談が各巻に付いている。地上波で放映していた時、フジTV系の深夜アニメ枠は深夜過ぎ(笑)見逃すこともあったりで、残念に思っていた。
各話ごとに基本色が設定され、エンディングの音楽もすべて違う。また撮影監督さんの対談で知ったのだが、一般的にVFX処理されるような画像効果を撮影で加工したそうで、その手腕と言うか?陰影、遠近感、光りなど、撮影の出来映えが本当に素晴らしい。ギンコや人物部分は黒の描線に囲まれた動画になるが、動画部分と背景の解け具合がなんとも言えず良い空気感に包まれている。
アニメーションで、奥行きのある空気感と出すのはなかなか難しいと思う。なんとなくレイアーが分離して、印象が平坦になってしまったり、奇妙にクリアだったりする作品が多い。だが、本作『蟲師』は違う。横山大観の絵のような朦朧と湿気を含んだ日本の山野の背景部分、物語のモチーフとなる際立って鮮やかな植物の描写、それに人物部分が自然に解け合って、『蟲師』の世界観と作っている。アジアの音楽を意識した多国籍風の音楽も穏やかで、それに語りの土井美加さんの渋い声が物語に深みと味わいをもたらしている。とにかく、あれもこれもも良い(褒めてばかりですが、本当に良い!!んですヨ〜。。。)
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『蟲』の性質は、第1話「緑の座」で説明される。作者漆原さんの創作の『蟲』だが、その存在感はリアルで、私なんぞすっかり『蟲』の存在を信じている。舞台は『蟲』の性質上、森や山、海辺などの辺境が多い。ギンコ以外は皆和服だし、電化製品もなく自動車なんて不粋なものもない。だからこれは西欧化されず、鎖国したまま閉ざされたような日本のようだったりする。その佇まいが、貧しいのだが、美しく、切ないものがあったりする。圧巻なのは「枕小路」「海境より」の中の、蟲が無数に群がる描写!気が遠くなるような作業をされている制作の皆さんに大拍手!!です。
どの話もそれぞれ好きだが、特に印象的なのは「山抱く衣」、中国の神話のような雰囲気は気を遠くなるような感慨がある。ほか、男女の情愛を描いた「天辺の糸」や「一夜橋」も哀しくも、美しい物語だ。監督さんは続編の制作も考えているようなので、是非、作って欲しい!!と熱望する。
繰り返しレンタルしている。お財布と相談して(汗)、無理しても「これはDVDを買わない訳にはいかない!」と思うほどの必見のアニメ作品。未見の方は夏休みに見てください!!
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July 01, 2007
コメディ時代劇?実はアイドル系最後のサムライ!?/『憑神』妻夫木聡主演

●憑神●
●監督;降旗康男
●原作;浅田次郎
●脚本;降旗康男/小久保利己/土屋保文
●出演;妻夫木聡/夏木マリ/佐々木蔵之介/佐藤隆太/赤井英和
鈴木ヒロミツ/石橋蓮司/西田敏行/香川照之/江口洋介 他
●DATE;2007年6/23公開
公開日から5日後の水曜日(6/23)に、高崎109シナマズで鑑賞。主役は、妻夫木聡さん。日本映画ではすっかり主役を独占している感のある彼だが、本作も監督の降旗さんが「妻夫木くんで何か撮ろう」と言うことで企画されたそうだ。異色のアイドル映画って点では、ウェンツ瑛士くんが演じた『ゲゲゲの鬼太郎』と同じ?!。さて、どんな映画だったかと言うと…。
●あらすじ
時代は幕末、ペリー来航以来、世の中は「尊皇攘夷」「公武合体」と騒然としていた。そんな世の中から取り残された男、別所彦四郎は実家に出戻った居候の身だ。彦四郎の家は三河以来の直参だが、石高の少ない下級武士=御徒士組だった。「大阪夏の陣では、家康公の影武者を務めた由緒ある家柄」、それが母の誇りだった。家督は、相撲好きで、呑気ものの兄が継いでいる。
真面目な彦四郎は、学問所では英才と謳われ、大身の旗本に婿入りをした。だが、その家は彦四郎の不調法で追い出されてしまった。毎日、肩身の狭い中、彦四郎のささやかな楽しみは蕎麦屋の亭主との世間話だった。蕎麦屋で酒を飲んでいると、昌平坂学問所で一緒だった榎本武揚が、勝海舟らと通りがかる。武揚は軍艦奉行として時の人だった。無為無職の我が身と比べると、彼の様子は輝いて見える。
なんとも我が身が情けない彦四郎に、蕎麦屋の甚平が耳打ちする。「榎本様が今の御出世を得たのは、向島の三囲(みめぐり)稲荷に願を掛けたおかげだと、皆噂しておりやす。旦那もミメグリ様に願掛けなさっては如何ですか?」。「神仏に願掛けなど…」と、一笑にした彦四郎。だが、酔った勢いで草むらの中に埋もれた三巡(みめぐり)稲荷の祠に手を合わせる。
翌日、二日酔いの彦四郎の眼の前に、紫の着物に西洋傘を持った福々しい商家の旦那が現れる。伊勢屋と名乗った男を福の神だと思う彦四郎。彦四郎が願掛けした稲荷は、同じミメグリはミメグリだったが…。>>>つづきは映画館でどうぞ!
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サイトの感想レビューを読むと、なかなか手厳しい批評が多かった。映画の入場料に1800円出すと、1800円分楽しめないと腹が立つものだ。私は正規金額を出して映画を見たことがほとんどない。本作もサービスデー1000円で鑑賞。1000円以上楽しめたし、実に面白かった(笑)。
テーマは平たく言えば、「触らぬ神に祟りなし」。
彦四郎は酔っぱらった勢いで、さびれたお稲荷さまに虫の良い頼み事をする。訪れたのは、幸運ではなく、とんだ祟り神たち。福々しい貧乏神に、元気溌溂の厄病神、子供の姿をした死に神が、次々と彦四郎を苦しめる。この見た目は、意外なようで、実に的を得ていると思ったりする。週刊誌を騒がしたあのヒト、甘いマスク、優しそうな口ぶりにどれだけの人がビンボウクジを引いてことやら…。自己破産する人だっって、直前まで凄い外車、豪華なマンションに住んでたりする。とかく、世の中そんなもの。『巧言令色鮮なし仁 (こうげんれいしょくすくなしじん) 』って、中国の人は巧いことを言っている。
彦四郎は、威勢の良い厄病神の理不尽さにほとほと困り果てる。ここらへんの描写は、蕎麦屋の親父とのやりとりも含め、古典落語のような趣きだ。古典落語には死に神を騙す話などあり、バカと頓智の妙が魅力。だが彦四郎はバカにも頓智にもなれない。真っ正直に疫病神たちと付き合ってしまう。そこらへんを面白いと感じるか?否か?で、映画の印象が違うものとなるだろう。
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私が納得出来なかったのは、彦四郎の最後の選択。時代と殉死することが、男としての最後の誇りなのか?なんともいたたまれないものを感じる。男の美意識、「武士道とは死ぬことなりと見つけたり」って、古くないですかね〜〜〜、ネ〜ヤッパリ。
途中までは、「わはは」と見ていたのに、最後は泣かせるとは、まったくルール違反(?)。コメディなら、最後はハッピー・エンドが良い。明治・大正・昭和を生き抜き、100歳超のお爺さんになった彦四郎。臨終の枕元には、沢山の子や孫、ひ孫、彦四郎の手を少女の死に神が取る。そんなラストでも良かったんじゃないでしょうか?ネ〜?監督。
コメディ時代劇と見せて、実はアイドル系時代劇。二兎を得るのは難しい!?
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