July 2008
July 26, 2008
宮崎流“人魚姫”の見せるデボン紀の夢/『崖の上のポニヨ』宮崎駿監督

●崖の上のポニヨ●
●原作・脚本・監督;宮崎駿
●音楽;久石譲
●作画監督/近藤勝也
●美術監督/吉田 昇
●声の出演;奈良柚莉愛/土井洋輝/山口智子/長嶋一茂/天海祐希/
所ジョージ/矢野顕子/吉行和子/奈良岡朋子 他
●主題歌;「海のおかあさん」/歌 林 正子
「崖の上のポニョ」/歌 藤岡藤巻と大橋のぞみ
●DATA;スタジオジブリ作品/110分/c2008 二馬力・GNDHDDT
♪ポニョ、ポニヨ、ポニョ、サカナの子♪
のエンディング主題歌がTVから流れる。日本中の良い子が、夏休みに観たい映画NO.1!!は絶対に『崖の上のポニヨ』だろう。7/24(木)の高崎109シネマズ最終上映にて鑑賞。
●あらすじ
深い海の底、美しいクラゲの大群が揺らぐように泳いでいる。そのクラゲの中を一艘の不思議な潜水艇がゆっくりと進む。中には長髪の紳士が居り、何かのエッセンスを海の注いでいた。その様子を赤い体の小さな魚たちが覗いている。中の1尾は大きく、年長のようだった。年長の1尾が潜水艇を抜け出し、陸地の見える海面に向かう。
宗介はお気に入りのジェットボートを海に浮かべようと崖下の入江にいた。宗介の目の前に赤い魚が浮かんでいた。「死んでいるのかな?」。宗介と赤い魚はこうして出会う。>>>とにかく映画館にGO!!
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学生の頃、上野にある科学博物館の旧館が好きだった。ヒンヤリした空気に満たされた老朽化した石造りの建物の中には、古代の空気が流れていた。貴重な恐竜化石の標本などと並んで、デボン期の生き物の実物大模型が展示されている。
“人は海に生まれた”
人類の祖先に繋がる様々な古生物は海の泡から生まれた。単細胞生物が、何かの動機で、多種多様な形態を獲得していく。その中でも、海の生物が爆発的な進化を遂げたデボン紀(約4億年前、恐竜誕生の白亜紀まで約2億年余ある)は素晴らしい光景だっただろう。地上は原始巨大森林が繁茂し、昆虫の祖先が君臨、海は巨大な魚が群泳していた。デボン紀は、両生類の誕生した時代でもある。
名作『風の谷のナウシカ』では、巨大な節足動物、昆虫が世界の半分を支配していた。『ナウシカ』の昆虫の王国のイメージはデボン紀にあったのか…。と、『崖の下のポニョ』を観て嘆息した。宮崎さんは、少年の心のツボを確実に押さえている。それは、彼の心の中には、老成した哲人と、好奇心に満ちた少年が融合して棲んでいるからだろう。相反する、二つに心は、引き裂かれた世界の綻びを修復しようといつも邁進している。本作『崖の下のポニョ』もそんな二つの心を感じた。

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『千と千尋の神隠し』で宮崎駿監督は大きな山の頂きを征服(映画界で世界的な成功)していた。『ハウルの動く城』は、山から降りる途中の立ち話のような作品だった。宮崎駿監督は引退宣言をし、充電のために瀬戸内海、鞆の浦近くに家を借り、夏目漱石を読みふけっていたそうだ。そこで生まれたのが本昨『崖の上のポニヨ』だった!?。
宮崎駿監督は、いつもなら数年、長い時は10年近く準備期間をかけ、映画制作にかかる。今回の『崖の下のポニョ』は宮崎監督にしたら奇跡的な速さ!で、完成している。監督は夏目漱石がロンドン在住の時に観た、ラファエロ前派の画家ミレイの『オフェリーア』を鑑賞し、“「精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい」との決断をした”と云う。
←※クリックで拡大 前述したミレイ作【オフェーリア】の画像をお借りした。この絵はラファエル前派の画集には必ずと云っていいほど収録されている。観て判るように、決して素朴な絵ではない。夏目漱石は著作『草枕』の中で“風流な土左衛門”と、この絵を表現している。
“オフェーリア”は、ラファエロ前派の画家達が好んで描いた題材だ。オフェーリアはハムレットに一途な想いを寄せているが、復讐に燃えるハムレットの心変わりに心を病み、唄を歌いながら、川を流れていく。結局は死んでしまうのだが、描かれているオフェーリアは、正確には土左衛門未満(?)な状態で、手には花を持ったりしている。
『オフェーリア』は細部まで、草木の一本一本まで描かれた濃密な空間を持つ。この絵から「素朴さ」を学ぶ宮崎監督の慧眼は、さすが!!と思ったりする。どんなに描き込んでも、心に訴えるものこそが『オフェーリア』の絵の神髄であり、それは鑑賞者に委ねられるものなのだ。
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映画の本筋から脱線してしまったが、本作『崖の上のポニョ』は、【監督の家出、夏目漱石、オフェーリア】の3題噺から誕生している。個人的な根拠のない推測だが、宮崎駿監督は『ゲド戦記』の監督をしたかった筈だ。だか、実際に総指揮をしたのは御子息吾郎氏になる。吾郎版『ゲド戦記』が描いた世界は、濃密な背景画を作り込めるジブリスタッフの力量を十二分に発揮したものだった。この作品を観て、前述の“「精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい」との決断をした”と云う言葉が出たのだと思う。
もう映画を観た古いジブリファンは気付いていると思うが、『崖の下のポニョ』の作画は、『風の谷のナウシカ』以前に戻ったような素朴な動画になっている。現在、アニメ界は文字どおり“爛熟”している。高画素のCGやVFX全盛のアニメ界にあって、監督の仕事は、総合プロデューサーのような煩雑なものに変化してしまった。監督=作家(芸術家)と云った制作環境を維持しながらの作品づくりは、本当に困難な仕事になっている。そんな作家性不在になりがちな、商業アニメの世界に、宮崎監督は大きなアンチテーゼを打ち立てた。それが、手描きにこだわり、素朴な色鉛筆彩画風な背景にこだわった監督の意図であり、思いっきり、ハチャメチャのデフォルメする主人公(ポニョ)の動画表現などに表れている。
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さて、本作『崖の上のポニョ』だが、実に宮崎ワールド的であり、宮崎監督の好きなもので満ち溢れている。本作に一番似合う形容詞は“満ち溢れる”と云うことになるだろう。ポニョや宗介の住む世界は、日本の日常に極めて近い世界でありながら、魔法の力の存在する世界でもある。これは、『ナウシカ』や『ラピュタ』『もののけ姫』『千と千尋』『ハウル』など、他の宮崎アニメの世界と同じだ。“古い時代に滅んだ世界”も、他の作品と共通している。また、人間以外の巨大生物が跋扈する世界観も、同様だ。
宮崎監督は、現在の環境破壊の進む文明社会を深く愁え、かつ強烈に憎んでいる。『ナウシカ』では、最終戦争後の世界だったし、『ラピュタ』でも高度な魔法文明は滅んでいた。そんな破壊された世界でも、生き残った人間は、希望を失わず、生き抜かなければならない。そのメッセージは『もののけ姫』で強く描かれていた。『もののけ姫』の中で、人間の愚かな欲望は古代神“シカガミ”を殺してしまう。すべての生命の親を殺してしまった“オロカナニンゲン”。宮崎駿監督は、“神のいない世界でも生き抜かなければならない人間”をテーマに多くの作品を描いていたが、死んでしまった神は、また再生し、また死を繰り返す存在だったことも描いている。
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本作『崖の上のポニヨ』では前述した宮崎理念を、誰にでも(小さな子供から老人まで)判るストーリーで、ストレートに表現したファンタジー作品だ。宗介の町は深い海に侵食され、人の暮す町は水没してしまう。だが、皆、笑っていた。悲しんでも、笑っても、時間は同じように過ぎていく。老人も子供も、命の重さに替わりなく、命は大きな系統樹として、個体を超えて繋がって行く。
圧倒的な生物の数に、命の重さと、儚さを感じ、ハッピーエンドの至福に満たされる。
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July 25, 2008
夏休み!2008/July『ロード・ムービー特集』
旅のイメージの絵を探してみた。
●題名;【銀色のお気に入り】
●画家;ローレンス・アルマ=タデマ
Lawrence Alma-Tadema
1836年1月8日生まれ - 1912年6月25日没
イギリス、ビクトリア朝時代の画家
この絵の額にはワーズワースの詩が書かれている。
このちっぽけな海にまばゆく照りつける
光という光に神経をとがらせて
お前たちの鱗(うろこ)の鎧(よろい)は
そのお返しをしようときらめく
エーゲ海の潮風を受けて、美しい女性たちが水槽の鯉に餌を与えている。潮風はどこか甘く、日射しはあくまでも暑い。夢のような幸せの一瞬がここにはある。夏の旅は、一種の現実逃避…。だからこそ、夢のようであってほしい。
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夏は
どこか
遠くに
行きたい
月並みな言葉だが、「人生は旅に似ている」。
同行二人と思って歩いていても、いつの間にか相手と道が違っている。
気が付いたら、どこにも行けない袋小路に迷い込んだり…。
鉄道の夢をよく見る。夢の中の私は、知らない町を旅している。家に帰るために、駅に行く。だが、大抵の場合、私は違う電車に乗ってしまう。だから夢の中の私はいつも帰れなくて困っている。
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道に関する映画をソートしてみたい。
●ドリーム・キーパー/アメリカ
●リトル・ミス・サンシャイン/アメリカ
●ストレイト・ストーリー/アメリカ
●スタンド・バイ・ミー
●※
●※
※編集中です。のちほど追加します。
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July 24, 2008
偉大なるもの、人と動物がともに生きること。/『ドリームキーパー』

●ドリームキーパー●
●監督;スティーブ・バロン
●出演;エディ・スピアーズ
●DVD発売日: 2004/6/4 時間: 120 分
『夢』は不思議だ。寝ている時、奇妙にリアルな世界を旅することがある。神話的で、寓意的で、知らない人しか登場しない美しい街…。私はそこを勝手に“ソウルタウン”と呼んでいる。
自律神経が乱れていると入眠時にイヤな夢を見るようだ。癖で眠る直前の時間と、夢が終わった時間を時計で確認する。10分と経過していないのに、夢の時間は数日にもなっていることがある。寝ているのに、疲れる(笑)。“悪夢”は眠りの始まりに、“ソウルタウン”の夢は、睡眠の終わりに見ることが多い。結局、脳内のことだが、人間の脳は不思議だ。本作も、そんな不思議な夢の世界を大切にしているネィティブ・アメリカンの物語。
●あらすじ
ショーンはネィティブ・アメリカンの部族の生まれ、ネィティブ居住地に暮らしている。おじいちゃんは神話の語り手“ドリームキーパー”として、観光客や子供達にお話を聞かせるのを日課としている。ショーンは町にチンピラといざこざを起こしていた。
ある日、おじいちゃんが「“フェィテバル”に馬を連れて行きたい」と云う。会場は家から1000キロ以上離れている。87歳、高齢のおじいちゃんを「一人では行かせられない」と、母はショーンも一緒に行くように云う。おじいちゃんは「お駄賃に古いトラックV6000をやる」と云う。トラック欲しさにショーンは承諾。おじいちゃんとショーンと馬は、ポンコツV6000はニューメキシコで行われる“フェィテバル”を目指し出発する。何もないアメリカ中西部、その道中、おじいちゃんは、ショーンにさまざまな物語を話してくれるのだった。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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ありがちはファンタジー映画かと思ったら、ネィティブ・アメリカンの神話を丹念に描いた作品だった。アメリカの先住民の神話・伝承を知る機会は少ない。しかし、彼等とアイヌ民族の神話観は驚くほど似ている。シベリア、アラスカのイヌイットからネィティブ・アメリカンは渡りガラス文化圏とも呼ばれ、カラスを神聖な霊鳥として祭る。カラスは人の寿命を知る鳥だ(日本でもそうでしょ?)。神話の共有は、同じ祖先を持つ民族が偉大な歳月をかけて移住していったと考えられるのだ。

最初に語られる神話は、
【若者ホークボーイは真理を知るために山に籠る。丸く描いた結界の中、神聖なタバコを吸いながら夢を待つ。飲まず喰わずで真理を教える夢を待つが、しかし夢は訪れない。さまざまな精霊が若者が真理を知るのに「相応しい者か?」、試練を与える。あまりに喉の乾いた若者は泉に行くが、真理の夢を待つものは水さえ飲んではいけなかった。泉には巨大な蛇が住んでいた。そこで…。】
この神話を含め6つほどの神話(雷の嫁/北斗七星/賢い馬/白人のインディアン/鮭の住む川)が語られるが、どれも素晴らしいVFXで見ごたえがある。人も動物も天界でさえ、対等な存在とする世界観は、日本の昔話や神話と似ており、どこか懐かしい。しかし、過酷な大陸で育まれた神話だ。登場する熊も、バッファロー、ヘビ、ウマetc.、皆、巨大だ。そして、彼等は賢い知恵を持った存在として描かれる。
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以前、オーストラリア映画で『ドリーム・ウォッチャー』と云う作品を観た。この作品はアポリジニの神話伝承が基になっており、「正しい夢によって世界が保たれる」と言った内容だったように思う。古い作品で記憶が曖昧なのだが、印象的な作品だった。※主演はリチャード・チェンバレン?か、似た人(笑)。
アフリカ、オーストラリア、南北アメリカ、イヌイットetc.、自然と共棲し、エネルギー消費の少ない暮らしをしている人たちがいる。彼等の神話体系は、同じイメージを共有している部分がある。また、原始的な暮らしを守っているにも関わらず、驚くような天文知識が神話に隠れていたりする。中南米のマヤ暦は近代天文学に近い数字で太陽系を把握している。彼等は、暦をもとに、未来を予知し、悪い未来を避ける警告をする。偉大な知恵を持つ彼等の神話を知ること、現代人には必要なことのように思う。自然をまったく破壊しない彼等の生き方こそ、人間と言う種がすべき理想的な姿なのかもしれない。
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本作は劇場未公開作品。出演している俳優さんも皆ネィティブ・アメリカンの人たちなのだろう。有名な俳優さんは誰も出ていないが、男優さんは精悍で雄々しい顔だち、女優さんは意志的な瞳が魅力的だ。アメリカではネィティブ・アメリカンの人々は保護の美名の中、過酷な差別にさらされているのを御存じだろうか?。
北アメリカ大陸に住んでたネィティブ・アメリカンの人たちは、ヨーロッパからの移民に国を乗っ取られてしまったようなものだ。マンハッタン島は一箱のガラスビーズと交換された。それはオーストラリアも変わらない。優れた文明とは何なのだろう?
あらゆる点で、魅力的な作品。各都市の図書館などで購入して欲しいデス。
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July 23, 2008
星空と焚き火と老人…/『ストレイト・ストーリー』

●ストレイト・ストーリー●
●原題;the Straight Story
●監督:デビッド・リンチ
●出演:リチャード・ファーンズワース/シシー・スペイセク/ハリー・ディーン・スタントン
●1999年 アメリカ 111分
●ニューヨーク批評家協会賞主演男優賞/撮影賞
●イメージ;(c)1999 the Straight Story ウォルト・ディズニー
日本TV系『月曜映画館』1/16未明に放映。冬の夜空にオリオン座が輝き、人が人でいることの不思議を思ったりする。人が人でいられることの有限と、宇宙の果てしない時間…、人の一生のなんと短く、そして愛おしいものなのだろうか?
●あらすじ
アメリカ・アイオワ州。73歳のアルヴィン・ストレイト、妻は10年ほど前に他界し、娘のローズ と2人暮らしだ。ある日、家で転倒し、足を悪くしてしまう。そんな秋の初め、アルヴィンの兄・ライルが 心臓発作で倒れたという電話が入る。些細なことで口論となり、兄とはもう10年会っていなかった。兄の住む町まで560km、車なら1日の距離だ。しかし、アルヴィンは目を悪くしており、車の免許はなかった。娘のローズを頼ることも出来ない。しかし、「今兄に会わなければ、もう兄と和解することなく人生が終わるかもしれない」、アルヴィンは、小さな芝刈り用のトラクターで、出かけることにする。野宿用のコンテナを牽き、出発するアルヴィン。街の仲間は、「隣町へも着かないだろう」と見送る。案の定、隣町に着かないうちに、トラクターは動かなくなってしまう。前途多難!しかしアルヴィンの決意は固かった。そして…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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“人生は旅である”言い古された言葉だ。だが、ふと振り返った時、この言葉は心に沁みる。映画の中で、ロードバイク・レースの若者と、アルヴィンは遭遇する。若者がアルヴィンに質問する。「年をとって良いことは何か?」アルヴィンは答える。「実か、殻か見極めることができるようになることだ」。違う若者が皮肉まじりで質問した。「年をとって、最悪のことは何か?」、アルヴィンは「若い時のことを覚えていることだ」。この台詞で、アルヴィンは悔いの多い、困難な旅路を歩いて来たことを観客は知ることになる。
物語は実話であり、新聞に載った小さな囲み記事が発端だ。アメリカの田舎に住むお爺さんが、東京兵庫間ほどの距離をひとすらトラクターで行くだけの話。この単調な実話を、奇才デビット・リンチ監督が、思慮深いのロード・ムービーに仕上げている。彼もすでに老境を迎えていることも、この映画の味わいをより深いものとしている。1999年公開当時、話題になり、主演のリチャード・ファーンズワースはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。娘役は、『キャリー』で怖い超能力者を演じたシシー・スペイク、余り出演シーンは長くないが、温かい情愛を感じさせてくれた。彼女は軽い知的障害があると言う設定、不思議なユーモアで、家庭の持つ大切な何かを教えてくれたように思う。
◆◆◆
アメリカの田舎道は、ひとすらまっすぐ!ストレートな訳だ。ほとんど人家もなく、果てしない原野と、農地が広がっている。このオハイオからミシシッピまでの道程は、ほとんど起伏もなく、アメリカの穀倉地帯、本当に見渡す限り、何もない。何もない原野の暗闇で、アルヴィンの灯す焚き火がほんのりと明るい。
デビット・リンチ監督の代表作の一つ、『ツィンピークス』、この中で炎が印象的に描かれていた。この『ストレート・ストーリー』でも炎は生きる証をして、効果的に描かれる。明かりを見て、家出娘が現れ、人が集う。アルヴィンは星空を眺め、兄と一緒に見た短い夏の日の星空を思い出す。星空と原野の炎、人は悠久の時を、こんな風に過ごしていたのかもしれない。1993年にアルヴィンは他界され、主演のリチャード・ファーンズワース氏もすでに他界された。しかし、映画の中で彼等は永遠の時間を刻み続ける。
、この『ストレイト・ストーリー』も、そんな有限の一コマと切り取り、旅の幸せをかいま見せてくれた。
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July 22, 2008
夏の日、永遠が終わる2日間/『スタンド・バイ・ミー』1986年作品

●スタンド・バイ・ミー●
●監督;ロブ・ライナー
●製作・脚本;ブルース・A・エバンス、レイノルド・ギデオン
●原作;スティーブン・キング(原題/ボディ 死体)
●音楽;ジャック・ニッチェ
●出演;ウィル・ウィートン/リバー・フェニックス/コーリー・フェルドマン/
ジェリー・オコネル/キーファー・サザーランド
●アメリカ/1986年作品/88分
●日本での劇場公開日/1987年4月18日
この日々に終わりがあることを信じたくなかった。永遠の夏…。
時々、“スタンド・バイ・ミー”の曲を聴く。この曲を耳にすると、必ず思い出す映画がある。もう公開から20年の歳月が経過してしまった。この映画を見た時の自分と今の自分…。夢が実現出来た部分と、失望と欠落の部分がないまぜになり、“スタンド・バイ・ミー”を聴くと、深い感慨が沸き上がる。大人も半ば過ぎると、誰もがこの映画の主人公になれる…。

●あらすじ
ゴーディ・ラチャンスは、多忙な日を送る人気作家。ある日、ゴーディは新聞記事に目が停まる。“弁護士クリス・チャンバース刺殺さる”。その名前は、少年の頃の大切な仲間の名前だった…。そしてゴーディは少年の日、夏の終わりの2日間を思い出す。
オレゴン州キャッスルロックに住む少年ゴーディは、内向的だが、空想力溢れる感受性豊かな少年だった。彼には、何でもできるスポーツ万能、成績優秀の兄がいる。しかし、その兄は不慮の事故で他界してしまった。ゴーディの両親は深い悲しみから抜けることが出来ず、まだ自分の才能に気づいていないゴーディは兄と自分を比べ、いたたまれない日々を送っていた。
夏休みも終わりに近い晩夏の午後。ゴーディと3人の遊び仲間、クリス、テディ、バーンは、いつも通り、裏庭にある秘密基地に集まっていた。わるふざけとたわいないおしゃべり、いつもそこで大人には秘密の計画が繰り広げられるのだが、それが実行されることはなかった。しかし、その日は少し違った。バーンが耳にした噂は「ブルーベリー摘みに出かけて行方不明になっていた少年が、列車に轢かれて、その死体が放置されている」と言うものだった。
町で鼻つまみの不良グループが、車を盗みドライブ中に死体を見つけたと言う。しかもまだ「警察に届けていない」。こんなに面白い話はない!ゴーディたちは、「死体の発見者になれば、町の英雄になれる!!」と、親たちには内緒で“死体”を探す旅に出る計画をたてるのだった。
“死体”があるのは、20マイル(約32キロ)先。道のない深い森林を歩いていかなければならない。4人の少年たちの、夏休み最後の冒険が始まった。そして…。
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『スタンド・バイ・ミー』はある年齢の女性には、永遠のアイドル映画かもしれない。少年の日のリバー・フェニックスが、ゴーディの親友クリスの役で出演している。また今も『24H』で活躍中の人気俳優キーファー・サザーランドが、クリスの兄、不良グループのリーダー役で出演。私の友人の何人かは、当時リバー・フェニックスに恋をしていたし、中にはキーファー・サザーランドの大ファンになった友人もいた。映画の舞台“キャッスルロック”は、憧れのクリスの住む町、アメリカ留学をした知人もいた。
◆◆◆
青春映画の代名詞のように言われる『スタンド・バイ・ミー』だが、少年たちは12才、青春の言葉は似合わない。子供を捨てる日は何時なのだろうか?大人の事情を理解しなければならない、否だけれど、捨てなければならない子供時代…。少年の日との決別を描いた映画だと思う。
9月に映画紹介した『ネバーランド』は少年の日々を捨てなければならなかった少年が描かれていた。日本では、子供達はなんとなく大人びてくる。とくにこの日から…という節目は学校の入学式だったりする。ここでも同様に、彼等は秋から中学校に進学する。しかし、少年たちはもっと意志的に、子供との決別を自覚しているように感じた。“子供時代”との決別を描く『スタンド・バイ・ミー』は、誰の心にもあった思い出の琴線を深く揺さぶり、記憶に残る名作となっているのだと思う。
◆◆◆
ゴーディと3人の仲間
◆クリス;評判の悪い父親、不良の兄がいるので、町では白い目で見られている。
強い正義感のあるしっかりした少年。あることで大人に不信感を持っている。
>>>苦学して弁護士になる。
◆テディ;フランス系移民らしく、少し他の子供と違う雰囲気がある。少しあぶない。
父は軍人だったが、今はグータラで息子に暴力をふるう。
>>>目が悪いので軍人になれず、刑務所暮らしを経験。
◆バーン;ポッチャリ系。単髪なのにクシをいつも持ってるお洒落なところもある。
兄はクリスの兄の仲間。死体の話を持ってきた張本人。
>>>高校卒業後、製材所に勤務。早く結婚する。
内向的なゴーディは原作者のスティーブン・キングの分身とも言える存在。彼も含め、4人の少年はどこかで出会ったことのあるような子供達だ。そして、私たち自身も彼等と同じ子供時代を経過して大人になっている。だからこそ、この物語が“永遠の青春映画”と言われる由縁かもしれない。
◆◆◆
←クリックすると拡大します。映画で語られるように、4人が秘密基地で遊ぶのは、あの夏が最後だった。作者は、「レストランの客が入れかわるように友人が替わった」と回想する。この言葉は、本当に痛い…。
何度見ても、佳い名作です。
未見の中高生の皆さん!オススメ!
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July 21, 2008
可愛いは強い!Go!GO!オリーブ!/『リトル・ミス・サンシャイン』

●リトル・ミス・サンシャイン●
●監督;ジョナサン・デイトン/
ヴァレリー・ファリス
●出演;アビゲイル・ブレスリン/
グレッグ・キニア/
ポール・ダノ/
アラン・アーキン/
トニ・コレット
●DATA;20世紀フォックス/2006年作品/101分
●受賞歴;サンダンス映画祭出品/
第19回東京国際映画祭=監督賞・女優賞・観客賞/
アカデミー脚本賞・アカデミー助演男優賞 他多数
DVD冒頭に新作案内は付属している。『リトル・ミス・サンシャイン』の予告を見て、ホノボノ系の映画かと思っていたら????。簡単なあらすじなど…。
●あらすじ
アリゾナに住む9歳のオリーブ。何ごとにも前向きのオリーブは、地区美少女コンテストで2位になった。ちょっとだけ得意で上機嫌のオリーブ。家族は、老人ホームを追い出されたヘロイン中毒の祖父、ニーチェと東洋哲学にハマり無言の修行中のストイックな兄、自己啓発本の出版に血道を上げている父、そして頑張り屋の母の5人家族だ。多忙でストレスフルな毎日を送る母は禁煙できないでいる。平和(?)な家族の団欒に、ゲイで、失恋し、自殺未遂し、仕事も辞めてしまった(!)叔父が加わる。
地区美少女コンテスト1位の少女が、全国大会の出場を棄権する。2位だったオリーブが全米美少女コンテストに出場することになった。決勝の会場はカリフォルニアのホテルまで約1000km。飛行機代が工面出来ず、ヘロイン中毒の祖父、自殺未遂の叔父らを、独りに出来ず、一家はオンボロのVWワゴンで遠くカリフォルニアまで行く羽目になる。
狭い車内では、お祖父ちゃんは毒舌全開!!黄色いワゴンは砂漠を疾走するが…。さて、オリーブ達一家はカリフォルニアに無事到着するのか?そして、コンテストの結果は???>>>>つづきはDVDでどうぞ!
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まず、主役のオリーブが可愛い!!ホッペもお腹の子供らしくポッチャリしていて、アラレちゃん(古!)メガネも可愛い。でも!?、美少女コンテストってタイプには見えない天然系。最初から、なんだか怪しい雰囲気が漂う…。
オリーブと母以外は皆、ダメ男!男って存在はナイーブで複雑怪奇だ。ヘロイン中毒のジジイ、自己啓発マニアのオヤジ、無言を誓うアニ、ロマンチックなゲイ叔父…。日本のドラマでこの設定なら、最初からギャグ路線と見え見えだが、アメリカ映画ではシリアスな雰囲気が漂う。深刻の度合いが深くて、この男性陣はまったく笑えない。立派な家に住んでいるが、「きっとサブプライムローンで四苦八苦に違い無い」なんて一家の経済状況がお寒いのが見え隠れする。
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類似作として、やはりアカデミー賞を受賞した『アメリカン・ビューティ』を思い出す。アメリカ人の幸せは、複雑怪奇!?ナンデモありは何もないのと変わらない。一家の住んでいるアリゾナは、自然景観に恵まれ、グランド・キャニオンやネィティブ・アメリカンの聖地セドナもあり、インディアン居留地も多い。砂漠が多く、お隣のカリフォルニアに比べ、辺鄙な州ってイメージだ。一家の家が“アリゾナ”ってのも、アメリカの観客には何か?感じるものがあるのかもしれない。
ネィティブ・アメリカンのスピリットは「物質文明から離れたところにこそ、安寧な約束の地がある」と言うもの。だが、オリーブの父は、「人生の勝ち組」にこだわっている。アメリカで始まった自己啓発セミナーの入会勧誘会に間違って行ってしまったことがあるが、そりゃ〜、もう大変なモンだった。幸福感を創造するのは、諸行無常なこの現世では難しい。オリーブの父は、勝利を信じる信念と、どうにもならない現実のギャップの中で、本当の幸せを再発見する。最初はイヤなオヤジに見える父だが、ラスト、クライマックスでは最高!
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全米美少女コンテストのシーンは実際の優勝者のような、ハイ・スキルな少女たちが登場する。以前、美少女コンテストの常連だったジョンベネちゃん殺害事件で、実際の美少女コンテストの様子が報道されたことがある。映画のそれも、まったく似通ったものだった。作り笑いが貼り付いたような笑顔、横にニ〜ッと笑った時に見える歯並びの素晴らしさ!?、見事な特技(踊り、歌、アクロバットetc.)もプロフェッショナルな出来映えだ。これが微笑ましく見ることが出来るか?イタイタしいと感じるか?は、立場、心情の差で大きく別れるだろう。「おもろうって、やがて悲しき…」って、感じだった。
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我れらのヒロイン、オリーブちゃん!!クライマックスでは、デストロイヤー級の破壊力で、物語を盛り上げる。幸せは身近にあるんだよね!!オリーブちゃん!!
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July 17, 2008
July 16, 2008
BL好き編集者の陰謀(?)か?大ブレイク間近!?/『特集・高畠華宵』プリンツ21

●特集・高畠華宵●
●prints (プリンツ) 21 /
2008年秋号
●出版社;プリンツ21
●DATA;発売日 2008/6/26
●出版社による内容紹介
大正末〜昭和初期にかけて一世を風靡した挿絵画家・高畠華宵の大特集!『日本少年』『少女画報』といった多くの児童雑誌に表紙、口絵、挿絵、また新聞の挿絵、便箋表紙絵などを描き、出版美術の黄金時代を築く。また華宵の存在そのものも全国の少年少女の憧れの的となり、一躍カリスマ的人気を得る。その艶麗な美人画や気高さ、はかなさが宿る美少年の作品は多くの読者を魅了し、今なお鮮やかに輝き続けている。特集では〈美少女〉〈ファッション〉〈美少年〉〈子ども〉〈デカダンス〉の5つのカテゴリーにわけ、華宵作品の魅力を平成にアジャストして徹底分析!寄稿は宇野亜喜良、安野モヨコ、大槻ケンヂ、松谷みよ子と豪華メンバーが集結。大正ロマンと昭和モダンに彩られたら華麗な作品群をご堪能下さい。
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“prints 21”の秋号は【特集・高畠華宵】だった。今年になって高畠華宵関連の本紹介3册目になる。BL好き編集者の陰謀(?)も含め、出版関連に見る華宵の再評価の浪は大きいようだ。本誌の詳しい内容は、編集者からの紹介文に譲るとして、ワヤワヤな感想など。
“prints 21”はA4変型“anan”と同じサイズの大判雑誌。華宵の代表作が大判サイズいっぱいに印刷され、とっても新鮮!!。美少年を描いた“刺青”も大きく印刷され、筆致や、鉛筆らしき下描線もくっきり見ることができる。『刺青』は華宵の代表作、女性っぽい顔だちの妖しい若者(?)が背中の刺青を見せている構図。Tシャツなどに印刷すれば、日本好きの外国人観光客の人気商品になりそうだ。
また、華宵が描いた『少女画報』『日本少年』の表紙絵や、児童雑誌『金の船』の表紙もたくさん掲載されている。表紙絵を見て感じたのだが、『少女画報』の女性像はすべて同じ顔だちで華宵らしい作風。だが、『日本少年』の表紙絵は、何点か写実的なものが混ざっている。これは、日本が軍国化していく中での、国威高揚の表れだろう。写実的な絵には、画家の意向はないようで、少女絵に比べクオリティが落ちる。ファッション性や、廃退的な雰囲気のない華宵の絵は、やや痛い。
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保守的な美術評論家から見たら、高畠華宵の画業はどんな位置にあるのだろう?。
以前なら、“時代と共に忘れ去られた昔の流行画家”と云った評価がだろうか…。それが、今回のように、流行に敏感な美術系専門誌で特集を組まれている。原因は、団塊世代層読者獲得やら、出版企画の疲弊、売れる作家不足がある。考えてみれば、バブル期以降、作家の使い捨てが増え、成功しているのは村上隆氏ぐらいだ。なかなか、ロングセラーを生むような人気画家が登場しない。
CG作家・映像表現作家はどんどん新人が登場し、消えていく。一部に人気のある平面表現作家はマニアックに深化し、一般大衆の深層心理を穿つ才能は発掘されていない。現代美術の作品展を見ても、コンセプト・アートが多く、難解だ。だから、皮相な感想など笑って却下されてしまいそうだ。難解過ぎる作品群、マニア化していく作風、作家名優先で奇矯なものを喜ぶ風潮などなど、現代美術の現場はカオス化している。カオスでは、大衆相手の商売はできない。高畠華宵のような、かつての大作家の作品が再評価されるのは判るような気がする。
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今回の特集を見て、一番感じたのは、晩年の作品群の寂しさ。子供向けの絵本などの作品は、毒を含んだ彼らしい個性が消えていた。時代の寵児、一世を風靡した作家の宿命を感じ、少し寂しい気持ちになった。
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July 15, 2008
何を見るのか?妖しい乙女たち。/『高畠華宵』(らんぷの本)

●高畠華宵 (らんぷの本)
●編者;松本品子
●出版社;河出書房新社
●DATA;発売日 2004年1月/
135頁
国貞えがく乙女もゆけば
華宵ごのみの君もゆく
宵の銀座のオルゴール
昭和3年(1928)
『銀座行進曲』二番から
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本郷の東大北側門近くに、“弥生美術館”がある。弥生は地名で、弥生式土器はここから出土したことから命名された。個人邸宅を改装した美術館は小さいけれど落ち着いた雰囲気で好ましい。この美術館は 明治・大正・昭和初期の挿絵を中心とした、出版美術の専門美術館。設立のきっかけは、創立者鹿野琢見氏が高畠華宵描く「さらば故郷!」に魅せられたことがきっかけだったと云う。
都内で町歩きをする時、この“弥生美術館”周辺が好きだ。抜き身の貝だけを売る魚屋さんや、江戸千代紙のお店など、江戸情緒を残す小さい商店街がある。そんな散歩の終点はいつも“弥生美術館”だ。
大正から、昭和初期、庶民の贅沢が育った時代。妖しい美少女たちが出版の世界で量産される。彼女らは、中性的だ。15〜6歳に見える肢体は、意外に健康的だが、体育の時間は似合わない。“深窓の令嬢”なんて死語もあるが、華宵の描く少女たちは、深窓の奥にはいない。クローンのように同じ顔だちをした彼女たちは、実は秘密に研究室で生まれたのだ。今も絵の中の少女たちは、何も見ていないようで、こちらを見ている。そんな、不可思議な存在感で佇んでいる。
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本書『高畠華宵』は大正末から昭和初期、一世を風靡した人気挿絵画家“高畠華宵”の作品と生涯を紹介したもの。
始めて華宵の絵を見た人は、どこかで見たように感じるかもしれない。多くの少女画家、挿絵画家に影響を与え、現在活躍中の漫画家丸尾末広さんにも、華宵の絵の影響がある。
高畠華宵が世に出たのは、明治44年(1911)。津村順天堂の“中将湯”中将姫の広告イラストから始まっている。意匠を凝らした華宵のモダンな作風は人気を博し、長く津村の仕事をしている。今も売っているツムタのバスクリン、昭和5年、津村順天堂が新発売した日本で最初の入浴剤“バスクリン”のイラストも華宵が描いていた。
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広告の仕事以外も、華宵の仕事は順調だった、大正2年(1913)から講談社の『現代』『面白倶楽部』『婦人倶楽部』『少女倶楽部』『少女画報』『金の船』などの表紙、口絵を手掛けている。大人気になった華宵と講談社の蜜月は突然終わる。大正14年(1925)のことだった。
講談社と絶縁後、だんだん軍靴の音も高くなる世相もあって、華宵の作品は武々しい美少年像が多くなる。当時、実業之日本社『日本少年』連載の“馬族の唄”の挿絵を担当し、華宵の人気は頂点に達する。昭和8年生まれの私の父だが、子供の頃、満州へ渡って馬族になりたかったそうだ(汗)。文字も読めないような子供にまで、“馬族の唄”の人気は知れ渡っていたことになる。
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男性の人気人形作家は、中性的なキャラクターであることが多い。華宵も生涯独身であったり、女性のファッションに興味があったり、繊細な中性的なキャラクターだったらしい。男性が中性化すると繊細になり、女性が中性化すると???になる(笑)
古い作家はどんどん忘れられる。だが、高畠華宵の画業は、100年余の未来に伝えられるかもしれない。日本のオタクカルチャーは、高畠華宵の頃、萌芽が芽生えたと思うのは、私だけだろうか…。
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最晩年は、経済的にも困窮した華宵。兄の援助で養老院に居を構える。そこでは日本画に打ち込んでいたそうだ。自分が描いた『幸福の王子』のように、すべての才能を世の中の少年少女に分け与えた華宵…。芸術と云うギフトは、他のギフトとは両立しないのだろうか。
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