May 10, 2008

選民思想の恐怖と愚かさ…。/『ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア』5

ニュルンベルグ裁判




















●ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア●
●監督;ハインリッヒ・ブレロアー
●出演:セバスチャン・コッホ/
    トビアス・モレッティ/
    ダグマー・マンゼル
●DATA;2005年/ドイツ/360分

 本作は、ヒトラーと幻想をともにした建築家“アルベルト・シュペーア(1905〜1981)”をドラマ化したもの。内容は、再現ドラマを中心に、戦前の記録フィルム、関係者のインタビューで構成されている。さて、どんな構成になっているかと云うと…。(上の画像は、ニュルンベルグ裁判の記録写真)

●作品構成
ヒトラーの建築家
■第1部/戦争の記憶
 1930年、若き建築家アルベルト・シュペーアは、参加したナチ党大会でヒトラーを知り、彼の理想に魅了される。シュペーアは、国家社会主義ドイツ労働者党に入党するが、妻はどこか心が晴れない。その後、ゲッペルスの宣伝省改修の仕事をしたのをきっかけに、ヒトラーと昼食をともにする機会を得る。

 建築家を目指したことのあるヒトラーは、シュペーアの才能を愛し、1934年の党大会の演出など、重要な仕事を任せるようになっていく。シュペーアの演出は、素晴らしいもので、人々は熱狂する。1939年、国土の拡大を目論み、ヒトラーによる周辺国への侵攻は始まっていた。建築総監となっていたシュペーアと家族は、山荘で寛ぐヒトラーに招かれる。一家は、他の官僚とは違う親しい関係になっていく。1942年、軍需大臣が乗った飛行機が墜落し、同乗するはずだったシュペーアは、建築総監から軍需大臣に任命される。

■第2部/ニュルンベルグ裁判
 1945〜46年、実際の音声、映像にドラマを合成。裁判の詳細が明らかに。

■第3部/牢獄のシュペーア
 1946〜66年、ベルリンのナチ戦犯だけの牢獄。ヘスとの奇妙な友情を描く。

■第4部/ドキュメンタリー(シュペーアの実像)
 戦後、発見された資料をもとに、社会学者・歴史家による分析。
>>>つづきはDVDでどうぞ!

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 人類史の中で目をそらしたいのに、注視してしまうものがある。怖い、見たくない、でも見なくてはいけない。その代表が“アウシュビッツ絶滅収容所”だ。

 ドイツは大好きな国の1つだ。旅行した時、牧歌的な風景や親切な人たち、文房具や玩具が魅力的で、心底素晴らしい国だと思った。だが、60余年前、この国は地獄の使者に支配されていた。ドイツは日本と同じく、他国への侵略と戦争犯罪の過去を持つ。

 人間がどこまで、無慈悲で、残酷になれるのか?

 歴史は、目を覆いたくなる事実を教えてくれる。今朝(08,5/31)の未明、NHK総合で『世界遺産』の番組を放映していた。“負の世界遺産”として紹介されていたのは“アウシュビッツ絶滅収容所”と“ヒロシマ原爆ドーム”。貴重な生存者の証言と解放直後の記録フィルムが淡々と映し出された。数トンにも及ぶ女性の頭髪、数十万足の靴、大量の衣服、アウシュビッツの様子は、どんな地獄が地上に出現したのか…、とうてい言葉で言い表せるものではない。

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アルベルト・シュペーア
 本作『ヒトラーの建築家  アルベルト・シュペーア』は、“何故、ドイツの国家犯罪と悲劇が起きたのか?”を、ヒトラーの友人であり、側近だった建築家シュペーアと、彼の家族を通して描いている。

 彼、“アルベルト・シュペーア”は、25歳でナチ入党、建築総監、軍需大臣で終戦を迎える。戦後は、戦犯として20年の服役、出所後、自伝『ナチス狂気の内幕-シュピーアの回想録』『第三帝国の神殿にて』を出版した。

 本作は、その自伝を徹底的に検証する。日本の番組では、「これほど戦争犯罪者の子供に取材をしないだろう」と思うほど、番組は執拗にシュピーアの息子2人、娘1人の証言を求める(現在、建築家や医師、教育学者などとして活躍している)。質問意図は、シュペーア一家には、残酷なものだ。「アルベルト・シュペーアは、アウシュビッツなどの強制収容所での残虐行為を知っていたか?」、幾度もこの問いは繰り返され、「おそらく知っていただろう」「父は嘘をついていた」と、惨い答えを引き出していく。

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 第1部では、シュペーア一家が、ヒトラーの山荘で過ごす様子が登場する。撮影者は、エバ・ブラウンだったり、プライベートなフィルムだ。シュペーアの子供たちは、可愛い民族衣装を着て無邪気に遊んでいる。インタビューに答えていた娘さんは、まだ小さい少女で、ヒトラーの隣で楽しそうに笑っている。このフィルムを観た娘さんは、「まったく記憶に残っていない」と証言した。シュペーア一家の子供達は、戦中の記憶を封印し、戦後を生きてきた。ヒトラーとの関わりは、思い出として残っていない。それだけ、世間の好奇の目に曝されていたのだろう…。

 第2部では、敗戦近い1944年、しだいに狂気の世界に踏み云っていくヒトラーと、施設の破壊を阻止しようとするシュペーアとの確執が描かれる。ヒトラーの狂気の源は、この世に創りようのない幻想の理想郷“第三帝国”への執着だ。その実体化に、建築家“アルベルト・シュペーア”は、非常に深く関与している。軍需大臣となったシュペーアは、強制収容したユダヤ人を使い、大型ミサイル工場を作る。ヒトラーは完成したミサイルをニューヨークに落とす予定だった。(※このロケット型ミサイルの開発技術に関わったドイツ人科学者たちが、ソビエトとアメリカの宇宙ロケット開発の中心になる。それほど、高い技術力を持った集団だった。)

 第3部のニュルンベルグ裁判の様子も、興味深い。戦争犯罪人としてただ一人、自分の罪を認め、ヒトラーの犯罪行為を証言したシュペーアは、他のナチ戦犯から孤立していく。罪を認めていながら、生き抜くことを考えているシュペーアの姿は、哀れで、時には滑稽でさえある。彼は、敗戦の直前「私はドイツ復興のために、連合国側にも必要な人材だ」と楽観的なことを云っている。彼は自分の罪科(強制収容所への関与)を自覚していない。その無自覚な認識下で書かれた自叙伝は、彼がナチスの中でも、「実は良い人」的な印象を人に与えている。

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 物事が勢いづくことを“火に油を注ぐ”と云う。ヒトラーが火なら、建築家シュペーアは油だった。この二人を中心に、心臓部の手足となったのが他のナチ幹部たち。その狂気の構図が、本作では明確に解きあかされていく。

 ベルリンのヒトラー公邸には、シュペーアの作った第三帝国首都ベルリンの都市計画模型が置かれている。一部屋を占領するほど大きい模型は、巨大で壮麗!!、巨人の住処のようだ。古代ローマの神殿や、コロッセオ、バチカンのドームなどをモデルに、誇大妄想じみた巨大な建造物が立ち並んでいる。15万人収容の競技場、ドーム頂上は300mになる中央庁舎、それらを建設するために、大量の石材と労働力、さらにベルリンの土地が必要になる。だから、いくらベルリンが空爆されようが、ヒトラーはまったく動揺しない。焼け尽くされれば、それだけ新しい建物を作ることが容易になるのだから。

 建築計画のためにユダヤ人居住区が立ち退きを求められ、建築建材の巨大石材を切り出すためにユダヤ人強制収容所が作られる。ユダヤ人の絶滅収容所の初期目的は、ヒトラーの巨大建築妄想実現の実現のために始まっていた!。そのアイディアを、具体化して実行したのが、建築家(軍需大臣)シュペーアなのだ。

 理想の都市づくりを計画しながら、人の住む場所を考えない愚かさ。愚かさを、ヒトラーとシュペーアは最後まで気づいていない。これは本当に恐ろしい!!。だが、よく考えてみたら、日本のハコ物好きな官僚、政治家は、ヒトラーとシュペーアと同じではないのか?不必要な建物で、どれほど国民の血税、国民年金が浪費されたことだろう…。

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 若き日のシュペーアの肖像をレニ・リーフェンシュタール(1936年/ベルリン・オリンピック記録映画監督)が撮影している。

 真直ぐ正面を見る目はナイーブな印象、彼は育ちの良いで人の良い好青年に見える。本作にレニは証言者として出演。レニは、「出所後のシュペールを同じように撮影したのよ。彼は少しも変わっていなかったわ」と語る。シュペール晩年の写真と、若き日の写真は、画面で重ねられる。育ちの良いナイーブな印象は、少しも変わっていなかった。

 シュペールは現実の時間を生きていたのか?
 幻想の中で、幻想の時を重ねてきた現実逃避家なのか?

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 ドイツを知ることは、同じ敗戦国だった日本を知ることに通じる。この作品は、見なければならない歴史ドラマの1つとして長く語られるだろう。ドイツでは、今もナチス当事者の戦争犯罪を究明して、二度と同じ過ちを起こさない努力を続けている。だが、日本では、戦犯軍人を英霊として悼む。この差は大きい。

 ナチス・ドイツのことを書き出すと枚挙のいとまがない。書き足らない、云い足りない部分はのちほど加筆修正することにする。

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