December 08, 2008
機械の身体の中のゴーストの物語/『アンドリューNDR11』

●アンドリューNDR114●
●原題;Bicentennial Man
●原作;アイザック・アシモフ(The Bicentennial Man)
●監督;クリス・コロンバス
●脚本;ニコラス・カザン
●出演者;ロビン・ウィリアムズ/ポーシャ エンベス・デイヴィッツ/サム・ニール/
オリヴァー・プラット/ウェンディ・クルーソン/
ハリー・ケイト・アイゼンバーグ 他
●DATA;アメリカ 132分 公開1999年12/17、日本公開2000年5月13日
【Bicentennial】の意味は「200年にわたる」。“The Bicentennial Man”は“200年(2世紀)にわたる男”。最初、英語タイトルの意味は「???」だったが、ラスト・シーンの静けさは、この題名の意味を噛み締めることになった。
初見は、深夜の地上波だったと思う。着ぐるみ風ロボットが、昔のSF映画のよう…。???な部分もあったりで、面白いと思わなかった。だが、今回見直すことで、原作者アシモフの深い思索の迷路が見えたように感じた。今月の『ロボット特集』の命題は、「ロボットに心はあるのか?」。本作では、主人公は無機質な存在から、人類になりたいと願い、実行を繰り返す。偶然に、器に宿ったゴーストは、切なくいじらしい。まず、簡単なあらすじなど…。
●あらすじ
近未来のアメリカ(2038年?)。
郊外に住むリチャード・マーティンは、妻と幼い二人の娘を持つ。リチャードは、ノーザム・ロボティックス社製の人型家事ロボット「NDR114」を購入する。不細工な大きな身体、初期設定インフォメーションの大音響。リチャードは驚き、妻と姉娘グレースは嫌悪感を感じていた。しかし、妹の幼いアマンダは、新しい家族のように親しみを覚えたようだった。人型家事ロボットは、NDR=アンドリューと命名される。
アンドリューは、姉のグレースは「ミス」、妹のアマンダを「リトルミス」と呼んだ。「ミス」と呼ばれ、グレースは嫌悪感をつのらせていた。彼女はアンドリューに「二階の窓から飛び降りろ」と命令する。アンドリューは落下の衝撃で破損。怒ったリチャードは、アンドリューを家族と同じように扱うと宣言する。アンドリューには、自己修復機能が備わっていた。だが、精密な彼の陽子脳は、誤作動をしていた。自室の地下室で、アンドリューは様々な品物を触り、データ収集するのだった。
数日後、リトルミスとアンドリューは浜辺で遊んでいた。アンドリューは過って、アマンダの宝物、馬の硝子細工を壊してしまう。泣きじゃくるアマンダ、困ったアンドリューは、流木を彫刻し、馬を創るのだった。リチャードは、アマンダの寝室にあった彫刻を見る。もともと備わった機能か?確かめるために、彼はノーザム・ロボティックス社を訪れる。顧客担当の「すべて落下時の破損が原因であり、故障は無性修理する」と言う説明に、リチャードは「修理は不用」と帰宅する。知的好奇心と、創造性を得たアンドリュー。リチャードは、熱心に知識を授ける。文学や芸術、生物学、マナーetc.、アンドリューはすべてを記憶していく。またリチャードは、アンドリューの芸術的な制作活動を支援。アンドリューの創った時計は高額で売れるようになる。自己資金で、自分の身体をバージョンアップしたアンドリュー。それは、始まりに過ぎなかった。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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本作『アンドリューNDR114』は、名優ロビン・ウィリアムズを主演に据えている。残念なことに、興業成績は赤字。物語は“機械が人間を超えていく”内容。偶然に、物体が自発的な意志=ゴーストを持つ。そのゴーストはどんどんパーツを加え、最後に恋人との結婚を願う。若干の気味の悪さが終始漂う。気ぐるみ状態だったり、人間の俳優がロボットを演じている違和感かもしれない。
具体的なエピソードが、重ねられ、アンドリューが身体感や、恋愛感情を得る。その描写を仔細に見ると、一種の恐怖映画のような嫌悪感すら感じる。この嫌悪感の中に、アイザック・アシモフの先進的な問題提起が潜んでいるのだ。
最初の私がそうだったように、物語の世界観に入れない観客は、退屈な時間に思えるかもしれない。あるいは、後半の展開は、言いようのない嫌悪感を感じるかもしれない。この生理的な嫌悪感は、彼=アンドリューの外見のデザイン次第で、まったく変わるものだ。あえて、ロビン・ウィリアムズが演じたことに意味があるように感じた。
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この映画で感じた“怖い感情=嫌悪感”は「差別=区別し、見下す感情」から派生していることに気付く。この映画に流れる132分は、奴隷解放のメタフォーなのかも知れない。不死の存在だったアンドリューが人としての死を選ぶエンディングは、娯楽作としては後味の悪いものだった。だが、アンドリューの題名どおり2世紀にわたる一生は、人が人である根本を探す旅のようで、感慨深い。
物語そのものは、SFと言うより、一種のファンタジーだ。成功者になるのは、壊れたロボット。なんでも出来るロボットを愛するようになる娘。ロボットの望みは「人間になって、愛する人と結婚する」こと。一般受けを考えれば、もっとファンタジーな物語に見せることも出来ただろう。だが、監督はそうしなかった。観客は、アンドリューの外見に惑わされている。アンドリューを動かす何かは、彼の中に宿るゴーストなのだ。
機械の身体の中のゴースト。本作も『攻殻機動隊』と同じ泉の水を汲んだ作品だと判る。
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