映画(さ・た行)
May 22, 2008
爽やかな古代史ロマンスは教訓的!?/『薯童謡(ソドンヨ)』

善化公主主隠
他密只嫁良置古
薯童房乙
夜矣卯乙抱遺去如
●薯童謡(ソドンヨ)●
●監督;イ・ビョンフン
●出演;チョ・ヒョンジェ/
イ・ボヨン, リュジン/
イ・チャンフン/
ク・ヘソン
●DATA;韓国/2007年/
全55話/DVD28巻
『宮廷官チャングムの誓い』や『ホジョン』で知られるイ・ビョンフンの作品。全55話を観ました。レンタル開始から、何度借りたことか…。あ〜〜〜、、、長かった。けど、面白かったです。韓国TVドラマ界のヒット・メーカーは、連続ドラマのツボを心得ている。
●1〜2話のあらすじ
時代は西暦580年頃、27代威徳王の治世。朝鮮半島は、大国高句麗、新羅、百済の三国に別れ、緊張状態にあった。一番、南部に位置する百済は、倭国(日本大和朝廷)と交流があり、技術立国を目指していた。王室では、太学舎(学校兼研究所)を作り、農業・工業技術の開発、工芸・音曲の研鑽をさせていた。
太学舎の技術士(格物士)モンナスは、博士昇格直前だった。恋人のヨンガモは同じ太学舎で舞仙女。モンナスの博士任命後、結婚予定だった。ある晩、モンナスは不思議な霊感を受け、土中から香炉を掘り出す。香炉には、新しい王誕生を告げる予言が刻んであった。
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先代の26代聖明王は新羅との闘いで落命。その首は長年、通行人の足の下、新羅の大路に埋められていた。威徳王の甥、衛士佐平(禁軍と親衛隊統括)プヨソンは、首奪還のため、新羅に出兵する。戻った聖明王の首を祀り、東明祭が開かれることになる。その前夜、舞仙女ヨンガモは一人、練習に励んでいた。舞姿を見た威徳王は、ヨンガモを寝所に連れて行く。東明祭前は、女性との接触は禁止されていた。翌、東明祭は、雷鳴と突風に見舞われる。
王権の弱まった百済宮廷にあって、王はヨンガモとの過ちを秘密にしなければならなかった。威徳王は、王子の証拠になる五色夜光珠の首飾りをヨンガモに託す。子を宿したヨンガモは、許嫁のモンナスに事情も話せず、太学舎を去る。
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それから10年余の歳月が流れた。大池のほとりで、ヨンガモは息子チャンと暮していた。自分の父親を恋しがるチャンに母は、「父は池の龍だ」と云い聞かせていた。10歳のチャンは山芋売り(薯童)で家計を助ける一方、子供らしく活発に過ごしていた。仲間と貴族の墳墓を荒したり、市場で手製のキナコ爆弾を破裂させたり、いたずらの過ぎるチャン。心配したヨンガモは、かつての許嫁モンナスに、チャンを託す決心をする。出発の朝、ヨンガモはチャンに手紙と首飾りを渡し、「20歳になったら、父の名を教える」と云う。
その頃、王家では、皇太子阿佐太子が倭国に行ったまま、行方不明になっていた。そのことで、次期王の座を狙う陰謀が進んでいた。チャンは、サビ城太学舎にモンナス博士を訪ねるが、冷たく拒絶される。忍び込んだモンナスの部屋には、神託の香炉があり、チャンが手にすると香炉から煙りが立ち上る。そのことが原因で、モンナスが新羅に逃れることになる大事件が…。以降、舞台は新羅へと移る。>>>>つづきはDVDでどうぞ!!
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●主な登場人物
●チャン;ソドン(薯童)。辛抱強く、頑固者。
●ヨンガモ;チャンの母、モンナスの許嫁。
●ソンファ姫;新羅真平王の三女。
才色兼備なお姫様。
●モンナス;太学舎のリーダー。
チャンの生涯の師。
●モジン;太学舎の技術者。
モンナスに想いを寄せている。
●サテッキル;新羅の貴族。
密命で、モンナスの弟子となる。
●威徳王;心優しい、気弱な王様。
●阿佐太子;心優しい、気弱な皇太子。
●プヨソン;威徳王の甥。
貴族と癒着し、王座を狙う。
●ウヨン姫;プヨソンの腹違いの妹。
太学舎博士でもある。
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本作『薯童謡』は“武王伝説/薯童説話(龍の子が、三国一の美姫を娶り、宝の山を発見し、王になる)”をドラマ化したもの。出典は、13世紀に書かれた、高麗の僧“一然”の私撰史書『三国遺事』だ。貴種流離譚の一種に分類されるだろう。多くの英雄伝説がそうであるように、実際の歴史とは異なる。だが、本作はシンプルな説話を膨らませ、史実と組み合わせながら、敵国同志の恋愛、諜報陰謀、権力闘争と、複雑な人間関係と作り上げた。
人間関係の多くは三角関係になっている。モンナス/ヨンガモ/モジンの太学舎関連、チャン/ソンファ/サキッテルの幼馴染み関連、プヨソン/阿佐太子/チャンの主従関連、後半ではチャン/ソンファ姫/ウヨン姫の三角関係も加わり、愛憎がこんがらがっていく。下劣な貴族は登場するが、悪魔的な悪人は登場しない。全体的に温かい印象なのは。監督イ・ビョンフンの優しい人柄からだろうか…。個人的には、損な役回りのプヨソン、ウヨン兄妹の悪役コンビが好きだった。俺様キャラ、プヨソンは、ごく普通のワガママ(?)だったのに、チャンの登場でどんどん人生が傾く。これもごく普通のワガママ、ウヨン姫は、チャンに関わり、もう〜、プライドズタズタ、姫の身分も危うくなる!!可哀想に。。。
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可哀想と云えば、サテッキル。サテッキルの不幸の元凶は、やっぱり主人公のチャン。頑固な善人チャンが、他人の人生と関わると、AKY(あえて空気読まない)に突っ走り、対立者を震撼させる(笑)。劇中最大の善人モンナス博士でさえ、チャンのことで、死ぬようなトラブルに幾度も遭う。劇中、モンナス博士は「ヨンガモなぜだ?なぜ、チャンなのだ!?」と、考え続ける。
ソンファ姫でさえ、周囲は大迷惑!献身的な家来と侍女は、ソンファ姫を追い、東奔西走!。最大のトラブル・メーカーが主役二人!、日本のドラマでは余り見ない構造だ。トラブル・メーカーと云うと聞こえが悪いが、二人の恋の成就には、あらゆる反対勢力が存在する。反対勢力=旧悪(特権階級)との軋轢は仕方ない構造になっている。モンナスを苦しめる神託とは何か?「“民衆のための王”を誕生させよ。」と、モンナスは解いた。その使命に気づいてからの、彼の活躍と粘りが凄い!。
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ドラマ前半は、チャンとソンファ姫の恋愛がメイン、ドラマ後半は、王座を巡る戦いが中心になる。当初は、ソンファ姫に振り回され感のあったソドンが、後半は自分の意志をはっきり言えるようになっていく。危機に遭遇するモンナスとチャンは、幾度となく王宮と流刑地を往復し、ソンフォ姫はサポートにまわる。三人を破滅させようとするのは、師弟、主従、恋愛関係三角関係のすべてにからむサテッキルだ。サテッキルは、花郎(ファラン=新羅の青年貴族の教育制度)一の秀才、顔だちも優しく、長身で気品がある。ボロを着て、苦労の多い主役チャンより、サテッキルは魅力的にさえ見える。彼もモンナス同様、自問自答する、「なぜ、(愛されるのは)チャンなのだ!?」。女の嫉妬も怖いが、仕事がらみの男の嫉妬は怖い!。
韓国時代劇は極めて教育的で意図的だ。「資源のない小国にあり、豊かな暮し創成には、技術立国が一番大事であり、平等感と成果主義のある富の再分配は、労働意欲の維持は欠かせない。」と、監督は云っている。その意図が強く出ているのは、前半は太学舎での技術開発(オンドル、合金、紙、織り機、塗料etc.)シーン、後半は灌漑事業、稲作水田づくりだった。一般的に娯楽ドラマで、教育的意図が出過ぎると、イヤミになってしまう。韓国ドラマでは、娯楽と教訓が両立しているので、不思議だ。
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百済30代武王の治世は40年の長きに及ぶ。彼の死後、19年後に百済は滅亡。そして、多くの王子や王族、貴族が日本に移住した。劇中に使用されている、冠などの装身具、七支剣などは、、日本で発掘された古墳副葬品などのデザインとほとんど変わらない。同じようなものが、群馬の古墳からも出土されている。※ご興味のある方は、高崎市群馬の森にある歴史博物館で、出土品を見ることが出来ます。
ちなみに百済建国の王は『朱蒙』のヒロイン“ソソノ”の息子“温祚”。日本人が『朱蒙』や『薯童謡』を熱心に見るのは、民族のルーツを少なからず感じているのかもしれない。今回の『薯童謡』は、台詞の中だけだが“聖徳太子”も登場し、一層、韓国ドラマを身近に感じてしまった。『薯童謡』ファンの日本人の中に、武王の子孫もいるわけで、このドラマの教訓は、遠いご先祖さまからのメッセージかもしれない。
ハッピー・エンドの後、三年後、十年後の二人が描かれる。『チャングムの誓い』も同様だったが、やっぱり王様は悲しい…。※記載ミスや、乱文になってます。のちほど加筆修正します。
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May 19, 2008
個人の目の記憶と画家の目の記憶/『真珠の耳飾りの少女』

●真珠の耳飾りの少女●
●監督;ピーター・ウェーバー
●出演;スカーレット・ヨハンソン/コリン・ファース
●DATA;2004/アメリカ/100分
アカデミー賞3部門ノミネート(撮影賞・美術賞・衣裳デザイン賞)
日本人が大好きな“西洋画家ベスト10”を選んだら、フェルメールは健闘するに違いない。以前、「フェルメール鑑賞、世界制覇」が生き甲斐の男性がいた。フェルメールの現存作品は少ないので、彼のゴールは意外と近いかもしれない。と、脱線しつつ、“画家映画特集”の最後は『真珠の耳飾りの少女』。
夜が長い時、一人でいたい時、静かな映画と過ごすのが良い。本作『真珠の耳飾りの少女』は、そんな夜に似合う静謐な映画だ。厳密には“画家映画”ではない。モデルとなった少女の一年余を描いた作品。さて、あらすじと感想など…。
●あらすじ
小さな台所、野菜を刻む手、手際よく、野菜は調理されていく。グリードは幼な過ぎることもないし、充分に成長しているとも言えない。母親はまだ手元に置いておきたかった。だが、デルフト焼職人だったグリードの父が職場で大火傷をして失明。仕方なく、グリードを奉公に出すことになった。
奉公先は、デルフトで著名な画家、フェルメールの家だった。運河に面した家の前には小さな空き地があり、洗濯物を干したり、鶏を飼っていた。フェルメールの妻カテリーナが妊娠していた。すでに子だくさんのカテリーナは娘のように着飾ることに夢中で、子供の世話をしなかった。家族は、画家と妻、妻の母と子供達。すでに先輩メイドもおり、グリードの仕事は、掃除・洗濯・調理などだった。
この家の主人ヨハネス(ヤン)・フェルメールは無口な男だった。デルフトの有力者から絵の注文を受け、描くのだが、絵は一向に仕上がらない。彼の完璧主義は、同じ光の中でしか描けず、絵を描く時間は短くなってしまうのだ。グリードはアトリエ掃除を云いつけられる。雑巾を持ち、掃除するグリードを明るいアトリエの光の中で見たヤンは、彼女の未成熟な美しさに創作意欲を刺激される。
ある日、アトリエの掃除をしていたグリードは、絵の中の椅子が構図としてそぐわないように感じた。本当なら、何も動かしてはいけないのだが、グリードは椅子を動かしてしまう。それに気づいた画家は、グリードに美意識があるのを知り、彼女に絵の具づくりなど教えていく。
誰にもアトリエのものを触らせなかったヤンが、グリードを手伝わせている。そのことは、妻や子供たちの心に嫉妬の炎を灯すことになる。グリードは、わざと洗濯物を汚した長女を、思わず叩いてしまう。やがて…。つづきはDVDでどうぞ!!
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絵画のジャンルに『ネーデルランド絵画』がある。野菜や、花、狩りの獲物、細密静物画に見られる粘着性、人物画の独特の肉感と怖さ、絵の背景に潜む闇…。中部ヨーロッパの時代精神が、この系統の絵にはある。フェルメールもネーデルランド絵画史の中の画家。だが、作風は他のオランダの画家とは大きく違う。明解で、明瞭、対象物にもっとも忠実だった画家の一人だ。彼は、明確な遠近法の意識を持ち、近代画家的な“絵から説話的暗喩を排除する”ことを知っていた。フェルメールは生涯製作点数も少なく、レンブラントやルーベンスのように宗教画大作を教会の大伽藍に残すこともなかった。だからか?死後、しばらくの間、デルフトの人から忘れ去られた存在になっていた。彼は共同幻想を描かなかった画家とも言える。
本作『真珠の耳飾りの少女』は、映画タイトルどおり、名画が生まれる一瞬と、その周辺を描いている。冒頭の野菜を切るシーンは、ネーデルランド絵画の野菜静物画のように、静かに細密にカメラが野菜の質感を写していく。小さな包丁を持つ少女の手は、白磁のような白さに、血管の薔薇色が透けて、そこだけ輝くようだった。
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映画のワン・カット、ワン・カット、やや広角なレンズで、陰影深く描写される。絵を描く時は、斜め45度の日光が美しい。どの画面もその角度の光りが刺していて、そのままフェルメールの絵画のようだった。フェルメールの時代から、ピンホール・カメラを使った構図法や、一点透視画法など確立され、画家の絵は写実的になっていく。現在、活躍中の日本の画家でも、同じような雰囲気の絵を描かれる作家もいる。
先程、「幻想を描かない」と書いたが、フェルメールは記憶を描いている。その記憶に、自分の目の記憶を重ねる鑑賞法をとることで、フェルメールの視点は、鑑賞者の視点になる。本作のカメラ・ワークも、監督の視点と、観客の視点は重なっている。だから、映画を見ることは、ファルメールの時代にタイム・スリップして、画家の生活を覗き見しているような錯覚を与える。画家の家の静かな空気を一体化することにより、見るものは、静かなオランダの朝を体験できる。この感覚は素晴らしく心地よい。
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主人公グリードを演じるスカーレット・ヨハンソンの美しさ!!普段は髪を隠しているのだが、一度だけ髪を見せるシーンがある。私は、画家と一緒に息を飲み込んでしまった。
TVCMでも使われている『真珠の耳飾りの少女』、ダ・ヴィンチの『モナリザ』のように露出過多にならないように願う。この作品は、極めて個人的な一瞬の思いを画布に刻んだものなのだろうから…。※原作はフィクッションで、モデルは自分の娘との説が一般的。
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May 13, 2008
朝鮮王朝末期の混乱を活写した名作!!/『酔画仙』

●酔画仙●
●監督;イム・グォンテク
●出演;チェ・ミンシク/
ソン・イェジン/
アン・ソンギ
●DATA;2002年/韓国/119分
19世紀に実在した画家“張承業/吾園(1843〜1897)”を描いた作品。張承業=スンオプを演じるのは、『オールド・ボーイ』のチェ・ミンスク。リアルさを追求した演技で、吾園の実像に迫っている。さて、どんな映画かと云うと…。
●あらすじ
1882年の朝鮮、外国の侵略と腐敗政治、反乱などで国運は傾いていた。
多くの士人画家・文人(両班階級)の衆目の中、当代きっての人気画家“吾園”が墨痕も鮮やかに、大胆に筆を動かす。煎茶を飲み、待つ間に、絵は見事に出来上がった。吾園の「完成しました」の声に、絵は披露され、人々は口々にその素晴らしさを漏らす。「神の絵だ」、「鬼神が舞うように神秘の趣きが漂っている」、「型破りのようで様式を備えている」そんな褒め言葉に吾園は「私の絵に様式を語るなかれ」と言い放つ。その不遜な態度に、「賤民出身の三文画家が様式を口にするな」「貧しい才能を信じたら人生帽に振るぞ」と鋭い声が飛ぶ。その場を去る吾園の背中は穏やかだった。
その足で向かったのは、次ぎの酒席だった。料亭の座敷で待っていたのは日本人の新聞記者海浦。彼は吾園の絵を偶然知り、絵の注文をしたいと席を設けたのだ。海浦は記者らしい質問をする。「先生は、賎しい身分の出身と聞きましたが、いつ頃、絵の才能に気づかれたのですか?」。吾園は云う、「天才は若い時から、頭角を表すものだ」。破顔して豪快に笑う吾園だったが、心中は貧しく辛い少年時代を思い出していた。
貧民窟のような下町で、みじめな姿の幼い少年が男の折檻と受けていた。少年の名はスンオプ、男は物乞いの親方だった。偶然、通りががかった身なりの良い士人が少年を助け、自分の屋敷に連れ帰る。士人の名はキム・ビョンムン、開化派に連なる儒学者だった。何日も経たないうちに、両班の家の生活になじめないスンオプは逃げ出してしまう。彼の画業はまだ始まっていない。>>>つづきはDVDでどうぞ!
●張承業の生きた時代
1863年 高宗即位(11歳の為大院君摂政に)【吾園18歳】
1866〜1872年 丙寅教獄(キリスト教徒八千人処刑)
1870年頃 開化派結成(親日派による独立運動)
1866年 丙寅洋擾(フランス軍と衝突)
1871年 辛未洋擾(アメリカ軍と衝突)
1873年 閔妃一派クーデター大院君追放
1876年 日朝修好条規(日本軍江華島侵入)
1882年 壬午軍乱(大院君クーデター失敗)
1884年 甲申政変
1894年 甲午農民戦争(農民ほう起勃発)
1895年 乙未事変(王妃閔妃暗殺)
1897年 国号を大韓帝国改称【吾園死去】
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本作『酔画仙』は、日本の幕末から明治中頃までの朝鮮半島が舞台だ。上記した年表で判るように、末期王朝は、高宗の父大院君と、高宗の妃閔妃一派による権力闘争が繰り返され。外交面でもトラブル続き、保守的な親清派と、改革を目指す親日派が衝突を繰り返していた。
初見の時は、時代の暗さ、スンオプの人生の重さに、息苦しいものを感じた。前回、紹介した『ニキフォル』が世俗と無縁の画家だとしたら、“張承業”は対極にいる。俗世の荒波に揉まれた彼の人生は苦しみの連続だ。だが、二度、三度と見たくなった。
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いつもどおり、映画の感想を書こうと思ったが、なんだか気楽に書けない気分だ。何度、書いてもしっくりしない。朝鮮半島は、お隣りの国のことなのに、知らないことが多すぎる!。
映画の序盤、吾園を尊敬する日本人新聞記者が登場したり、日本軍が漢城(ソウル)市内を行進するシーンも好意的な台詞がかぶる。かつては反日感情も強かった韓国映画で、こんな風な日本人の扱いは珍しく感じた。時代背景を調べると、吾園の精神性の師匠だった儒学者キム・ビョンムンが開化派を名乗ったことで、合点がいった。“開化派”は、日本の文明開化を見習い、清からの独立と近代化を目指す両班グループの名称だった。
日本は日清戦争の勝利を経て、結果的に大韓帝国を統治することになる。誇り高い朝鮮王朝や、教養豊かな両班、気骨ある庶民のいる朝鮮半島が何故、日本に占領されることになったのか?いつも不思議に思っていた。この映画『酔画仙』を見たあと、年表を見ると、今までの不思議が氷解した。王宮の混乱、内乱、弾圧、大量処刑、一つの国が滅んでいく様子が、画家の生涯を通して、鮮やかに浮かび上がってくる。画業の精進と一緒に描かれるのは、美しい朝鮮の山河、草木、風月だ。歴史がどんなに過酷であっても、山河は雄大であり、花々は限り無く美しい。
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印象的だったのは、もう一人の主役とも言える学者キム・ビョンムンだ。アン・ソンギの落ち着いた演技は、物語に柔和な品格を与えていた。模写で腕を磨くスンオプに「目で見える筆先よりも、大切なものがある」と「筆より先に志を立てねばならない」と教えている。この言葉は、表現者としてのスンオプを大きく成長させる。絵を描く人には、きっと身につまされる台詞かもしれない。
リアルに性的なシーンもあり、万人向けとは言えないかもしれない。画家の人生や、細かいエピソードの感想はあえて書かない。これは、見て感じるしかない。※のちほど加筆修正します。
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April 14, 2008
男の美学は、「ヒ、デ、ブッ」と聞こえる!?『300』

●300/スリーハンドレッド●
●原作;フランク・ミラー
●監督;ザック・スナイダー
●出演;ジェラルド・バトラー/レナ・ヘディー /デイビッド・ウェナム/
ドミニク・ウェスト/ビンセント・リーガン
映画館で予告を見た時、独特のダル系の色彩とコントラストの強い画質に違和感があった。原作がコミック(グラフィック・ノベル)と云うことで納得!アメリカのコミックは全頁カラーのものが多いが、日本のコミックのカラー頁とはまったく違う彩色がされている。で、どんな物語かと云うと…。
●あらすじ
スパルタの王レオニダスは、他のスパルタの若者がそうであるように、過酷な試練と鍛練の中で成長した。今は最愛の王妃とともに国王として君臨しているが、議会や神官たちは、王に服従していなかった。
ある日、近隣の国を征服し、強大な帝国となったペルシャから異様な風体の使者が来る。使者は「ペルシャへの隷属」を要求していた。誇り高い王レオニダスは、即座に使者を殺してしまう。使者殺害の報は、すぐにペルシャの覇王クセルクセスに届けられ、自ら大軍を率いギリシャに向かった。
間近に迫るペルシャ軍200万人!レオニダスは聖なる山に神託を授かる為に昇山する。異形の神官と美貌の巫女が棲む神殿、巫女の神託は「出兵は神の意志ではない」とのことだった。その神託で、スパルタの議会は王の出兵を認めなかった。
レオニダスは精鋭の重装歩兵300人だけを連れ、ペルシャ軍の上陸地点近くのテルモピュライに向かった。テルモピュライは自然の要塞のような狭い地形の場所だった。300人のスパルタ軍は200万人のペルシャ遠征軍と、歴史に残る戦いを繰り広げることになる。勇猛なスパルタ軍と王の運命は…。
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最初に!私はこの映画、すっごく好きです。好きなんだけど、あれこれ感想など。
まず、画面は最初から最後まで陰鬱で、重苦しい。CGの背景に実写の俳優たちを合成したと云う映像は、殺戮の鮮血を曖昧にし、また、それゆえに、残忍極まりない描写を可能にしている。首が飛び、手足がすっ飛び、人間の躰を槍や矢が貫く。300人しかいない自軍は、最初から死ぬことを覚悟している。「戦場で死ぬことが何よりの名誉」として育ったスパルタの精鋭!!日本の武士道『武士道とは死ぬことと見つけたり=葉隠から』と似たスパルタの掟は、惨いけれど、一種、普遍的な“男の美学”だろう。
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スパルタ軍の装備は兜、盾、槍、マントなど、美術デッサンの使う石膏像“マルス”のようで、シンプルで美しい。対するペルシャ軍は黒一色の軍服、ターバン、覆面姿で、個人はそこになく、蟻のように無個性に描かれる。蟻のような一般歩兵以外に、本当にバケモノのような戦闘員が混ざっているのだが、そりゃ〜もう〜、本当にコミックの世界的描写なのだ。シンプルでリアルなスパルタの描写と、ペルシャのゴージャスで奇形な描写の対比は、極端で、見ようによっては差別的だ。善と悪の対比と云うより、ヨーロッパ文明VS異文明の深層心理の投影のように感じる。
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この『300』に対し、イラン政府は「イラン人の先祖であるペルシア人を激しく冒涜している」として非難声明を出している。冒涜と感じる部分もあるだろうが、私はペルシャ軍の多様性とペルシャ王の美しさは、自らの王すら見捨てた狭量なスパルタ議会、美女を弄ぶ醜い神官などに比べれば、文明としての強さと美しさを感じてしまった。
ペルシャ王は移動玉座に座り、あらゆる宝飾品で身を飾っている。かたやスパルタの王は黒いパンツとマント、サンダル姿!?。虫に刺されたり、草や枝で「行軍だけでも。怪我をすることもあるだろうに…」と思ってする(=スパルタ兵はそんな軟弱なことを感じる訳ないけど)。小物、衣装、乗り物、CGのサイや象など、ペルシャ軍は見ているだけで、楽しい!!見ていて、『北斗の拳』を思い出した。ペルシャ王はラオウ、馬鹿でかいペルシャ戦士は、「ヒデブ」とか言って死ぬ巨漢の悪役に激似!?
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一種のCGアニメ・ムービー。この闘いを転機に、ギリシャの小国家制は滅んでいく。そう思うと、どこかもの悲しい…。
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March 28, 2008
ゴリロリだけど、耽美じゃない!?/『小さな悪の華』

●小さな悪の華●
●監督: ジョエル・セリア
●出演;ルナール・デラン/カトリーヌ・ヴァジュネール
●DATA;2008/02/20DVD発売/1970年度作品/フランス/103分
可愛いパッケージと新作のシールに騙され(笑)、うっかりレンタルしてしまった。“悪魔主義の少女”とくれば、アキバ系にお馴染みのゴスロリの世界。耽美な映像を期待したのだが…。さて、どんな物語かと云うと…。
●あらすじ
フランスの田舎、修道院に付属した寄宿学校。消灯時間過ぎたベッドの中で、おしゃべりする少女がいた。二人はアンヌとロール、仲の良い友達だった。アンヌとロールの家は近所で、休日も一緒に遊んだ。ベッドの中で、アンヌは悪を薦める本をロールに読み聞かせる。ロールは大人っぽいアンヌの横顔をうっとりと眺めるている。アンヌは早熟な少女だった。彼女は、親に隠れてタバコを吸ったりしていた。そんなある日、二人は寄宿舎で、シスターがキスを交わすのを覗き見する。泣きながら、司祭に告げ口をするアンヌ。日曜の礼拝では、司祭が子供が性に興味を持つことを戒める説教をするのだが、アンヌは司祭の姿が裸にしか見えない。
夏休みになり、アンヌの両親は彼女を屋敷に残し、バカンスに出掛けてしまう。うるさい両親から解放されたアンヌは楽しくて仕方ない。アンヌはロールを誘い、独身の農家の息子を誘惑する。我を忘れ、ロールに乱暴する牧童。難を逃れロールは逃げるが、アンヌは次ぎの悪戯を考えていた。アンヌはロールを誘い、悪意ある悪戯を繰り返していく。悪魔の儀式、放火…、ついには…。※つづきはDVDでどうぞ!!
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38年前の作品。1950年代にニュージーランドで起きた若い女性二人の母親殺人事件を下敷きにしているが、物語と事件はまったく関係ない。少女の描き方と刺激的な内容で、フランスでは上映禁止となってしまった。本作には、カソリック教会の“文化的な支配”と云う社会的な背景があり、登場人物にも司祭や修道女が登場する。少女の両親は富裕層らしく、大きな屋敷に住んでいる。
“反キリスト”、“悪魔の実在”と云った、アメリカのカルト・ホラーにあるような、霊的なマガマガしさはない。二人のしていることは悪魔主義ごっこで、どこかアニメの1シーンのようだった。本来なら、少年期(少女期)特有の、痛々しいほどの純粋さ、自己存在の不安が作品の底にあるはず。だが、本作のアンヌには、それは感じられない。なんだか、心底、嫌なガキな風に見えてしまう。ロールはアンヌの言いなりで、彼女の個性は余り描かれない。
主役二人の設定はと13歳と14歳だったらしい。日本では中学2年生ってことになる。この年齢は本当に難しい。大人が大嫌いで、社会の矛盾にイラ立つ反抗期だったり、大人の秘め事が気になる思春期だったりする。年齢設定を頭に置いて観ると、二人のすることは、常識、良識からは逸脱はしているが、「そうかもね〜、、、」と、悪さの根っこが少しだけ見える。
監督の予期したものとは違うだろうが、21世紀の日本の抱える闇と、この作品の持つ闇はどこか同質の臭いがした。主役の二人が富裕層の子女であり、悪戯の標的は貧しい層の男性達だった。日本の中学生がホームレスを襲撃する事件と、二人の少女のそれは、同じ根にから生えるものかもしれない。
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当時(1970)のファッションか、二人はミニ丈のワンピース。ニコニコと二人が自転車で走り回るのだが、白い化繊っぽいパンツが丸見えで、てんで無頓着!?。監督談話で、「制作資金を田舎の親戚に借りた」とあったので、着るものまでお金がなかったのかもしれない(笑)。特典映像で「自分自身の恨みを作品で晴らした」と屈折した思いを監督が語っていた。
個人的な趣味としては、「もっと華奢で、虫も殺さないような雰囲気の女優さんがアンヌを演じたらな〜」と思う。だが、本作の魅力、強烈なパンチの効いたB級感は主役のルナール・デランのキャラ力によるものが大きい。付属の特典映像に、50代半ばのルナールさんがインタビューに答えていたが、彼女の中のアナーキーさは健在だった。
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March 15, 2008
耽美少女系!ホラーに論理性は無用!/『箪笥』

●箪笥/A Tale of Two Sisters●
●監督・脚本:キム・ジウン
●原作;薔花紅蓮伝
●出演;イム・スジョン/ムン・グニョン/ヨム・ジョンア/キム・ガプス/
パク・ミヒョン/ウ・ギホン/イ・スンビ/イ・デヨン/他
●DATE;韓国 2003年 120分
パッケージ・デザインがレトロな少女漫画風、萩尾望都さんの『半神』を思い出した。悪夢症が悪化すると困るので、怪談系映画は自主規制していた。で、今まで未見。映画館で、ハリウッド版リメークの予告編を見た。やはり気になって、ついにレンタル鑑賞。
●あらすじ
冷たい雰囲気が漂う病院の診察室、医師は少女に聞く「何か覚えているかい?」、少女はただ悲しい目をして黙っているばかりだった。

秋の晴れた日、スミとスヨンの姉妹は郊外にある大きな家に帰ってきた。妹のスヨンは庭にあるホウズキの実を食べ、苦味に顔をしかめる。家の近くには小さい貯水池があった。姉妹で桟橋に座り、足を水に浸す。気持ちの良い風が吹いている。
父に呼ばれ、家に入る二人。家には二人の継母ウンジュが待っていた。継母の部屋は増築した部分にあり、姉妹の部屋は母屋の2階だった。姉のスミは自分の部屋に入り、机の中にノートを入れようとすると、まったく同じノートがある。箪笥を見ると、何着も同じ服ばかり並んでいる。スミは継母ウンジュの嫌がらせのように感じる。
家族で食べる夕食の席でも、険悪な空気が流れる。スミは、若いウンジュは姉妹の母親になる気はなく、女として父と向き合っているのを感じていた。最初の夜、何かに怯えたスヨンは隣室のスミのベットに潜り込んできた。「私が守ってあげるからね」とスヨンを抱きしめるスミ、今度はスミが悪夢を見る。得体の知れない女の影が部屋でうごめいている。ベットの上がってきた女の足…。
姉妹の母はすでに死んでいた。庭の倉庫から、母の残した遺品の室内履きや写真の入った缶を持ってきたスミ。写真には元気な母、医師の父、父の下で働く看護婦のウンジュが写っていた。スヨンはスミから写真をもらい、ウンジュの姿を黒く塗りつぶす。ウンジュは姉妹の部屋で破れた写真を見つけ、怒りの気持ちを持つ。ウンジュと姉妹の関係はどんどん険悪になる。だが、父のムヒョンは何も感じないようだった。ウンジュに何かの薬を飲ませるだけだった。この家には秘密がある。そして何かがいる…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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ユアン・マクレガー主演『ステイ』と構造が似ており、現実と幻想が混在している。常識で時系列で物語を追っていると、???になる。ファン・サイトの解説を読んで「ヘ〜、、、ソウナンダァ〜」と思った箇所も多い。この作品は韓国では誰でも知っている古典怪談『薔花紅蓮伝』を下敷きにしており、韓国の観客には姉妹の身の上は了解済みなのだろう。
暗がりや、台所の隙間にうごめく謎の霊は誰なのか?二人の死んだ母だとしたら、母はウンジュに殺されたのだろうか?と、推理しても仕方ないことだ。ただ、暗がりに潜む霊の姿は、心の中に棲む恐怖の象徴でしかない。霊は何も語らないし、何もしない。
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家に棲む霊の恐怖を描いたものとしたら『幽霊屋敷』のカテゴリーかもしれない。幽霊屋敷は趣きが大事だ。この映画の家には、贅沢な制作費(8億ウォン/約8000万円)がかけられている。貯水池の近くの白菜畑を借り、撮影の5か月前から麦を植え、造園にもこだわったと言う。美術監督のチョ・グンヒョンさんは大学ではモダン・アートを専攻、様々でメディア(インテリアデザイン/CM/雑誌)で活躍しているアート・ディレクターであり、韓国で注目されている。彼のこだわりが随所にあり、なかなか素敵な幽霊屋敷だった。
雰囲気のある洋館はどこか昭和な香りのするデコラディブなインテリア。あの壁紙は韓国製?日本の壁紙カタログではなかなか見ないロココな雰囲気!?欲しいと思ったのは小鳥の篭とスタンド、白い鉄製でお洒落だった(ホントに欲しい!どこで買えるんだろう?)。現在、町ぐるみで保存し、観光名所になっているそうだ。
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家の魅力はさておき、主演の姉妹役イム・スジョンさんとムン・グニョンさんが可愛い。二人ともウィンクの相田翔子さん似(?)。古風な顔だち、色白の頬が儚気だ。細い手足に、少女の頃の危うい美しさを感じさせる。物語の結末は『シックスセンス』状態、あっけに取られる。幽霊話の古典的常道は勧善懲悪、この物語の結末は悲しい。また、ウンジュはどうなっているのか?気になる。悲しみが幻を見せる、後悔には恐怖が潜む。この幻は本当に悲しい。
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March 07, 2008
お洒落でエグイ!謎が謎呼ぶ連続殺人/『ドルメン~血の伝説~』

●ドルメン~血の伝説~●
●監督: ディディエ・アルベール
●出演:
イングリッド・ショーヴァン/
ブルーノ・マディニエ
●DATA;
DVD発売日: 2007/07/06
540分/12回
フランス/2005年
珍しくフランスのミステリー、連続TVドラマ。オカルトもの?かも思ったら、これが意外や!意外!意外な、大どんでん返しもあって、最後まで、ラストが判らなかった!血縁関係と伝説がこんがらがって、フランス版横溝正史的ドラマ!!
●あらすじ
ブルターニュ地方の港町ブレストの沖合に位置するチ・ケルン島。周囲10KMに満たないこの島には、6基のメンヒル(立石遺構)があり、忌わしい伝説の島でもあった。この島に向かう船があった。乗っているのはブレストの町で刑事として働くマリーと造船所を経営する兄のジルダスだった。ジルダスは11才年下の美しい妹マリーに結婚指輪をプレゼントする。明日、マリーはジルダスの幼馴染みで世界的な競技ヨットのスキッパー、クリスチャンとの結婚を控えていた。優しい婚約者、祝福してくれる家族に囲まれ、ウェディング・ドレスを試着したマリーは幸せの絶頂にあった。
ウェディング・ベールを手にしたマリーは異変に気づく。ベールには血まみれのカモメが包まれていた。不吉な予感が脳裏に浮かぶマリー、彼女は幼い時から繰り返し見る悪夢があった。結婚式前夜、花婿のクリスチャンを囲み、バーチェラー・パーティを楽しんでいた。そこの客、小説家のライアンとジルダスが些細なことで喧嘩になる。ライアンは派出所に勾留されることになり、ジルダスは帰宅する。翌朝、ジルダスはメンヒルの下の入江で死体で発見される。ジルダスの遺体にはカモメが群がっていた。そして、メンヒルに刻まれた鳥のシンボルから血が沸き出す。
最愛の兄を失ったマリーは、結婚を延期し、兄の死の真相を究明するため捜査を開始する。パリ警察から儀式殺人の専門家ルカ・フェルセン警部が派遣される。高圧的なルカの態度に反発し、マリーは独自捜査を始めるのだが、死の連鎖はマリーの想像を越え、次々と広がっていく。血のしたたる立石、謎の修道士、忌わしい略奪の伝説、白い女の影…、マリーとルカは真実を見つけることが出来るのだろうか?>>>つづきはDVDでどうぞ!!
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フランスで大人気の連続ドラマ。アメリカや韓国ドラマが主流のレンタルDVDの中では異色の作品。主人公を演じるイングリッド・ショーヴァンさんは、浅黒い肌に大きな口、ハリウッド映画では見ないタイプの女優さんだ。ソフィア・ローレンやジーナ・ロロブリジーダに似た雰囲気で、すんごくセクシーで脱ぎっぷりも良い(!)。早とちりで、ぶっきらぼうのルカ警部は役所工事さん似の渋い二枚目、フランスでは人気のある俳優さんなのかもしれない。その他の俳優さんも観たことのない人ばかりなので、最初、人間関係など把握しずらい面もあるが、言い替えると人間関係がある家を中心とした複雑な血縁関係と不倫関係で錯綜し、複雑怪奇なのだ。そこが、事件の謎でもあるのだけれど…。
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物語の設定は2003年。マリーは35歳、婚約者クリスチャンは40代半ば、マリーの兄ジルダスは51歳etc、役柄の年齢設定が上なのも本作の特徴。本当の恋愛は「大人のもの」と云うお国柄なのかもしれない。20歳以上も年の離れたカップルも登場し、複雑な恋愛関係もフランスらしい雰囲気だ、なかなか面白かった。本作はベッドシーン、シャワーシーンなど、主役マリーのの露出が大胆!!、お茶の間では、お子ちゃま禁止な時間帯で放映だったのかも。
他、見どころとしては、町の集会所(青の壁画と白い壁)、タラソテラピー研究所、島のホテルなどなど、調度やインテリアがすごくお洒落!!青と白、赤と白、クッションや壁の絵etc.、「さすがフランスの観光地!」と思わせる。また、警察以外に捜査員として憲兵が働いているのも「へ〜〜〜」と思った。
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6巻540分を2日で観てしまった(汗)。1話ごとの最後のシーンが、次ぎはどうなるか?ハラハラドキドキな所で終わるので、ツギツギと巻を重ねてしまう。このドラマ、ミステリー好きにはハマリます!!フランス語の響きも美しく、観光気分の味わえ(?)、おススメ!!です。
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December 05, 2007
昭和名作を謎のリメイク?!/『椿三十郎』森田芳光監督

●椿三十郎
●制作総指揮;角川春樹
●原作;山本周五郎『日日平安』
●監督;森田芳光
●出演;織田裕二/豊川悦司/松山ケンイチ/中村玉緒/鈴木杏/佐々木蔵之介 他
久しぶりに高崎109で映画鑑賞。一番大きな6番シアターだったが、お客さんは初老男性2名にオバチャングループ数名…。平日だったが、10余人程度では採算はとれないだろうな〜(泣)。
●あらすじ
森の中の荒れ果てた神社。中には9人の若侍たちが藩の不正を暴くために密談をしていた。彼等は大目付けの到着を待っていたのだ。自らの正義感に酔い、高揚感に高まる彼等に、祭壇の奥から声がする。それはこの神社を宿かわりにしていた浪人のものだった。彼が言うには…。つづきは映画館でどうぞ!!
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本作『椿三十郎』の元作品は巨匠『黒沢明』。私は三船敏郎版をBSで視聴したことがある。印象に残っているのは三十郎がやたらポリポリ体を掻いているところ。本作の三十郎はコギレイで、着物もこざっぱりしており、不精ヒゲも生えてなく、お尻や頬、頭を掻いたりはしていない(笑)。監督が言うには「今の若者は、蚤、シラミのかゆさが判らないだろうし、それに汚いのは好きではないので」。だ、そうです。角川春樹氏はファンドで資金集めをし、『椿三十郎』と『用心棒』のリメイク権を取得したそうだ。シナリオは黒沢監督の書いたものをそのまま使用している。古い作品だからか?台詞を聞いていて微妙な違和感がある。古臭いとは違うのだが、国語の教科書的に分かりやすいのだ。それはラジオドラマ的でもあり、朗読劇のようでもある。
この分かりやすさは万人向けと言うことなのだろうか?映画が娯楽の中心だった昭和中期の特徴かもしれない。この違和感も含め、名作リメイクにどんな意味があったのか、若干の謎が残る。大物制作者角川春樹氏の心中は劇場パンフレットに書いてあるが、やはり???な気持ちになった。せめてシナリオを書き直してくれれば、もっと違う印象になったかもしれない。
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さて、本作の椿三十郎は織田裕二さんだ。昭和の三十郎が三船敏郎さんだったのに比べると、日本人とアメリカ人くらい(?)の違いがある。豊川悦司さんの役は仲代達也さん、松山ケンイチさんの役は加山雄三さん。こうに名前を書き出すと昭和版の方が、ず〜っと濃い!!人間としての重さ、風格がそれぞれに俳優に漂っている。しかし、今回も森田版『椿三十郎』は軽い!。軽さが悪いのではなく、監督の意図したのは重厚は黒沢明の名作を軽妙な味わいで作り直したかったのだと思ったりした。
本作、森田版『椿三十郎』は事前にモニター鑑賞をしていたそうで、小学生の笑いを重要にした旨のことがパンフレットに書いてあった。上述した違和感の原因は、この小学生にも判る笑いと言うことにあるのかもしれない。分かりやすい構図、超人的な達人主人公、主人公と互角の実力を持つ悪役、悪代官と越後屋のような陰謀家、未熟な若者、添え物のような美女連etc.、これらのまったく教科書どおりのような要素が分かりやすく展開していく。そこには意外性はなく、小学生が笑えるくすぐり画像(ドリフの全員集合的な=長さんが織田裕二、松山ケンイチが加藤茶)がそこかしこにある。そ〜なんですよ!!森田版『椿三十郎』はコメディなのです。
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教訓めいたことも主題にあるが、物語の構成やキャスティングに大きなほころびが見える、面白い作品なだけに残念だ。せっかくの森田監督のリメイクを十分に生かせなかった、角川総指揮に文句の1つも言ってみたくなった。
割り切ってみれば、楽しい年末の娯楽作。私ともう1人のオジサンだけが声を出して笑っていた。私ってきっと小学生レベル?エヘヘヘ(笑)。
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October 07, 2007
過剰と欠落と音楽の神…/『神童』

●神童 Sindo●
●監督;萩生田宏治
●原作;さそうあきら
●音楽;ハトリ・ミホ
●出演;成海璃子/松山ケンイチ/手塚理美/甲本雅裕/西島秀俊/貫地谷しほり/
三浦友理枝/吉田日出子/柄本明 他
●DATA;2006年 日本 120分 (C)「神童」製作委員会
秋晴れの土曜午後、山を3つ越えた(笑)榛名ハーモニー・ホールにて鑑賞。原作『神童』は手塚文化賞など、複数の受賞歴を持つ傑作コミック。音楽がテーマ、主人公は媚びない少女、正直ドツボにハマる映画。成海璃子さんと云う10年に1度出るか?出ないか?の美少女女優と旬の若手俳優松山ケンイチが共演!面白くないワケがない!!、てな、ワケで…、あらすじと微妙にネタばれな感想など。
●あらすじ
うたは、中学1年生13才。和音(わお)は音大浪人生。初夏の午後、二人は出会う。うたは将来を嘱望される天才少女だった。うたの父は著名なピアニストだったが、演奏旅行中に船から転落死してしまう。何不自由なく暮らしていたうただったが、屋敷は借金の差し押さえとなり、今は小さな木造アパートで母と暮らしている。うたの活躍だけが生きる糧の母は、うたにピアノだけの生活を強要する。体育の授業で球技の時は見学、いつも手袋をして指を保護しているうたはクラスメイトからは浮いた存在になっていた。うたはピアノを弾くことを強く望みながら、母の重圧に反発を覚えていた。
和音は商店街の小さな八百屋の1人息子。今年の受験で合格しなけらば八百屋を継ぐ約束をしていた。和音はピアノは好きだが、平凡な才能しかない。だが、和音のピアノには安らぎを感じる不思議な魅力があった。ピアノの指導を口実に、いつしかうたは和音の部屋に入り浸るようになる。
夜も働く母、1人で夕食を食べるうた。うたは音の残響が気になるようになる。それは…。>>>つづきは来月発売のDVDでどうぞ!!

映画とコミックはまったく別物だ。監督はコミック『神童』の主役に成海璃子と松山ケンイチを配した時に、天啓と天恵があったと思ったりする。成海璃子さんの深い漆黒を宿した瞳と美しい形をした耳、松山ケンイチくんの意志的な鼻梁と爪の長い細い手指、主人を無くした屋敷の佇まい、監督の美意識がそこかしこに有り、美しい映画に仕上がっている。
また“高崎フィルム・コミッション”が協力しているので、ロケ地は高崎市内(ほか、都内や千葉など)。私の高校時代のテリトリーが舞台になっていた。うたのピアノ教室は高崎音楽センターの裏口、和音の八百屋は高崎の旧オリオン座近く、アーケードの八百屋さん、うたが走る川沿の道は高校時代の通学路。他、高崎市内の中学校の体育館や図書室も撮影協力しており、視ていてドキドキしてしまった。不思議な既視感やら、リアルな錯覚が地元撮影にはある。
◆◆◆
『のだめカンタービレ』、『ピアノの森』、『神童』。この3作はそれぞれ天才的なピアニストを描いて映像化された人気コミックだ。その中で『神童』は2作に先行して完結した作品。『のだめカンタービレ』の野田恵嬢が因縁のライバルに云われる台詞がある。「天才も二十歳過ぎれば、ただの人ってね」。本作の主人公うたは悩める天才のだめちゃんとは違い正真正銘の天才=神童として描かれる。
うたが演奏すれば、人は誰もが足を止める。有名ピアニストはうたの演奏を耳にし、うたのピアノを聴きたいと熱望する。そして、うたは大部なコンチェルトの楽譜を短い時間で暗譜し、大観衆の前で演奏しきる。
心配する和音にうたが云う台詞は「大丈夫、私が音楽だから」!。この台詞を傲慢と受け取る人は誰もいないだろう。それは彼女が13才と云うこともあるが、神童だけが知る大きな欠落と不幸を彼女が自覚していることだ。
◆◆◆
TV番組に登場する天才=神童たち。優れた知能指数に、よく訓練された技術、マスコミは多くの英才に神童のレッテルを貼る。北朝鮮のTV番組に登場する幼い神童たちは神業のような指さばきで楽器を演奏し、硬い笑顔を崩さない。だが、本物の神童はほとんどいなく、大人になっても天才の呼称が似合う人は稀有。だから『神童』と云う言葉には未来に待つ『ただの人』と云うゴールが待ち受けているような悲劇的なイメージが内包している。
『のだめカンタービレ』の面白さはただの人になっちゃっていた元神童のだめの天才性に気づいた人たちが彼女に期待しつつ、彼女の奇矯さに振り回される面白さだが、『神童』のうたちゃんも相当にイっちゃってる(笑)。聡明な顔だちの成海璃子さんが演じているので嫌悪感はないが、ブサイク顔であの切れっぷりだったら、キラワレ者街道まっしぐらだ(汗)。
何が言いたいか?そ〜なんですよ、語弊があるのは重々承知なのですが、『神童』やら『天才』って奴は、扱いずらいトラブル・メーカーで、取り扱い注意な人々なのです。過剰が人格に大きな欠落を産んでしまう宿命…。本作の面白さは音楽の神を脳内の宿した幼気な少女が、自らに課せられた過酷な運命を受け入れるまでの物語であり、音楽の神を育む大変な作業を分け合ってくれるパートナーとの幸福な出会いの物語なのですヨ。
◆◆◆
ラスト・シーンでうたと和音は父の思い出のあるピアノで父の愛した曲を弾く。幼い恋心でうたを守った同級生は建物の外で幸せな眠りに落ち、和音は行き詰まっていたピアノに1つの答えを見い出す。それを映画と言う媒体で仮想体験出来る幸せに観客は深い溜め息をつく…。脚本は、うたと和音の物語を追うと言うより、劇中の使われるピアノ曲に身をゆだねる心地良さが優先されている。
監督の視覚的な美意識と音楽のこだわりを十二分に楽しむことが出来る佳品。続編希望!!
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September 15, 2007
リアル!並行世界はアルんだヨ!?/『チャーリー・ジェイド』

●チャーリ・ジェイド CHARLIE JADE
●監督:T.J.スコット / ジミー・カウフマン/ ジョージ・ミハルカ/ ピエール・ギル
●出演:ジェフリー・ピアース / マイケル・フィリポウィッチ /
パトリシア・マッケンジー / タイロン・ベンスキン / ミシェル・
バージャース / ダニー・キーオ / ほか
●DATE;カナダ/イギリス/南アフリカ 2006放映 CSFOXTV 全20話
市内のレンタル店が激安!今月中は、旧作50円でレンタルできる。未見のTVシリーズはこういう機会に「まとめて視たい。」と、予備知識なくレンタルした作品。それが、なんだか一筋縄にはいかない骨太なSF作品だった。
●あらすじ(導入部)
チャーリー・ジェイドは私立探偵だ。美しい恋人ジャスミンと暮らすアパートは、清潔で心地良い。彼の仕事は危険だが、何不自由なく暮らしていた。だが、チャーリーには持病があった。突然襲う頭痛、時々見える違う謎の幻覚、チャーリーは悩み、頭痛薬が欠かせなかった。
ある日、ケティと名乗る若い女がチャーリーに助けを求める。クラブで踊っている時に薬を使われ、レイプされ、路上に放置されたと言う。「家に帰りたい」と言う女に住所を聞くと、「ケープ・タウン」だと言う。「この町の名はケープ・シティだ」と言うチャーリー。ケティは錯乱し事務所を飛び出してしまう。翌日、ケティは死体で発見される。
警察に呼ばれたチャーリーは、刑事から「この女はIDチップのない女だ。どこにもいない女なんだ」と告げられる。自責の念に駆られたチャーリーは、女をレイプした男を探す。男の名はゼロワン・ボクサー、世界中を牛耳る巨大企業ヴィクスコアの創業者の息子だった。チャーリーは、ゼロワン・ボクサーを追って沙漠の町に行く。そこでチャーリーはヴィックスコアの巨大な施設があるのを発見する。砂丘の影から見張るチャリーの目の前で、建物は大爆発を起こす。目を醒ましたチャーリーは、やはり沙漠の中にいた。そこは…。>>>つづきはDVDでどうぞ!
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最近、「並行世界=パラレル・ワールドは実在する」と説く物理学者の本が話題になっている。多次元宇宙はタイム・トラベラーものと重なり、SFでは定番の題材。昭和SF界の鬼才半村良さんの『亜空間シリーズ』、また小松左京さん・筒井康隆さん達、日本SFの名手は多くの名作を残している。学生時代、SF小説ファンだったせいか、本作『チャーリー・ジェイド』には微妙に懐かしい雰囲気があった。

『チャーリー・ジェイド』の世界は、3つのパラレル・ワールドが交錯する。アルファー界、ベータ界、ガンマ界と呼ばれる世界は、同じ地球だがまったく環境が違う。チャーリーの住むアルファー界は徹底した管理社会だ。大戦争の結果、大気汚染が進み、経済は4つの巨大企業が独占している。人々はIDチップを手首に埋め込まれ、階級分けされている。チャーリーはランク2と呼ばれる一般市民、恋人のジャスミンはまともな職業にも就けないランク3だ。ベータ界は、今の世界とほぼ同じ、渾沌が支配している。そしてガンマ界は、環境汚染を解決し、豊かな自然に囲まれた美しい世界だ。簡単に言えば、最悪の未来と理想の未来、そして現在と言うことになる。映像では、モノトーンのように薄暗いアルファー界、現実感のあるベータ界、ビビットでコントラストの強いガンマ界と区別されている。
一応、ベータ界がリアル界の設定なのだが、チャーリーの住むアルファー界がやけにリアル!もう、ほとんど今の日本やアメリカに重なるのだ。世界企業に経済は牛耳られ、一部のエリートと法の庇護(福祉)のない貧しい人たち。身分はクレジットカードや銀行の残高で区別され、医療は高額所得者と貧しい人の間ではまったく違う治療が行われている。そして、居住区は高額所得者層とホームレスの間では、ほとんど行き来がない。チャーリーの住む世界は陰鬱で暗く、不安神経症のような世界、実にリアルで怖い…。
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本作『チャーリー・ジェイド』は南アフリカで撮影されている。南アフリカは、ごく最近まで極端なアパルトヘイトが行われていた。白人優先、アフリカ系の人たちはひどい差別にさらされていたのだ。本作では、その不条理で理不尽な空気感が濃厚に漂っている。実際の社会問題はサイド・ストーリーに生かされており、SFでありながら重いアフリカの現実を描いている。
白人による人種差別、レイプ、臓器売買、ダイアモンドを巡る殺人などなど、本作の暴力シーンは非常にリアルだ。日本と言う島国に住んでいると、どこか平和ボケしてしまうのだが、この暴力と殺戮が日常茶飯事の世界が、今の地球のリアルなのだろう…。資源の枯渇、地球環境問題、巨大企業による市場支配、格差社会による新貧民層の増加etc.、チャーリーの住むアルファ界の問題は皆、日本の現況だ!。鬱傾向の人には、本作は相当ハード!覚悟して視た方が良い。
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環境汚染問題が解決され、豊かな自然の満ちたガンマ界では有色人種も豊かな社会生活を送っている。そんな未来になるには、どんな科学技術、社会機構が必要なのか?溜め息しながら考え込んでしまった。総裁選の方針演説で福田康夫候補が「若者が夢を持てる社会づくり、弱い者、貧しい者に優しい社会づくり」と話されていたが、若者が夢を持つには使命感の創造が第一だし、その手助けとしてのテクノロジーとソフィアが欠かせない。やっぱり、良質の教育って大事だな〜…、と自分の無学を反省しつつ、考え込んでしまった。「ホント、イスカンダルへ行ってコスモクリナーを貰ってきたいヨ!」<<<アニメ好きじゃぁね〜(笑)。
物語の本筋とサイド・ストーリーがややわかりづらいが、娯楽優先で社会意識の薄いアメリカ系ドラマとは一線を画した社会派SF。アップル・コンピューターが提供しており、ベータ界のPCに林檎のマークがあるのが笑えた。
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