映画(な・は行)

July 10, 2008

傑作!!異世界を往復する“姉力”の物語/『パンズ・ラビリンス』5

パンズラビリンス/1




















●パンズ・ラビリンス●
●原題;El laberinto del fauno/Pan's Labyrinth
●監督;レルモ・デル・トロ
●出演;イヴァナ・バケロ/セルジ・ロペス/アリアドナ・ヒル/マリベル・ヴェルドゥ
●DATA;公開 2006年10月11日/上映時間 119分/
     製作国 メキシコ、スペイン、アメリカ/PG-12指定
●受賞歴;79回(2006年)アカデミー賞(撮影賞/美術賞/メイクアップ賞)
     2006年(第59回)カンヌ国際映画祭出品

 少女映画の名作!!。レンタル店でいつも空箱状態、やっと借りることが出来た。

●あらすじ

 昔、昔、黄泉の国の王女様は、長い長い階段を登り、地上に出る。地上に出た時、余りに明るさに王女はすべての記憶を失ってしまう。残された王様と女王様は、いなくなった王女様が人間に生まれ変わり、いつの日か、また戻ってくると信じ、いつまでも、いつまでも待っていた。

■ ■

 1944年、内戦後のスペイン。独裁者の圧政下、民衆のゲリラ活動は山間部に広がっていた。

 森の中を車列が続く。車の中には、再婚相手のもとに向かう臨月近い母と、少女オフェリアがいた。車中で、気分の悪くなった母は車を止めさせる。車を降り、森の道を歩いていたオフェリアは奇妙な石を見つける。石は道標のように立つ古い神像の目の部分だった。神像に目を戻すオフェリア。像の口から、大きなヘビカゲロウのような虫が現れる。

 山間の駐屯地に到着した二人を待っていたのは、冷酷な軍人ヴィダル大尉だった。大尉は、体調の悪い母を気遣い、車椅子が用意していた。新しい父は、母のお腹の子供にだけ愛情があるようで、連れ子のオフェリアには冷淡だった。駐屯地の裏には森が広がり、古代の遺跡と迷路が残っていた。迷路に向かうオフェリアを止めたのは、大尉の家政婦メルセデスだった。オフェリアは、メルセデスに親しみを感じる。母を診察した村の医師は、「長旅は母体への負担が大きすぎた」と心配するが、大尉は「息子は父の側で生まれるべきだ。万が一の場合、子供を優先しろ」と言う。

 駐屯地の中の一室で、不安な夜を迎えたオフェリア。妖しい物音に眠ることが出来ない。あの森で見かけたヘビカゲロウが…。>>>つづきはDVDでどうぞ!

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パンズラビリンス/2 本作は、この形容詞“グロテスク”な雰囲気の漂うダークなファンタジーだ。『パンズ・ラビリンス』は、子供向けのファンタジーでありながら、R12指定になっている。本来、童話の世界は残酷なものだ。

 森の中に大きく口を開けた地下への入り口。人工洞窟を持った庭、ヨーロッパにはグロッタと呼ばれる庭園様式だ(※澁澤龍彦先生の著書に詳しい)。洞窟の闇から、“グロテスク”と言う言葉が生まれる。暗闇は怖いものだ。洞窟の中の闇に閉じ込められた人間は奇怪な幻想を見ると言う。

 オフェリアの名前に、黄泉の国に妻を迎えにいく吟遊詩人オルフェウスを思い出した。名前から、彼女が現世と冥界を往復する存在だと予感させる。だから、迷路の奥の国は、明るい日の光に溢れた楽園ではないはずだ。オフェリアの故郷は、キリスト教に追い出された古代神の集う国だと思った。

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 アカデミー賞(撮影賞/美術賞/メイクアップ賞)を3つ!も受賞している。だが、映像表現は、古典的だ。陰影深いダル・カラーの画面は優れた絵画のようだ。イメージは、スペインの大画家ゴヤ晩年“黒の時代の連作”のようだし、ギュスターブ・モローの神話絵(人を喰らう一つ目鬼)のような奇怪な怪物も登場する。

 加えて、ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』も、本作のベースに潜んでいた。オフェリアは、アリスのように、深い穴に潜りこんでいく。案内する牧羊神パンは、どこか兎のようだ。また、大尉がいつも懐中時計を眺めているが、彼の仕種は残酷なトランプの女王に仕える白兎のようでもある。

 『パンズ・ラビリンス』は、単にグロテスクで残酷なのではなく、ヨーロッパの伝統的な異世界のイメージを見事に視覚化している。

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 本作では、地底の異世界と、内戦直後のスペインが交互に描かれる。二つの世界は存在しているのに、それを行き来できるのはオフェリアだけだ。物語の前提として、魔法も、パンも、妖精も、皆実在する。“不幸な少女の幻想“と言う、当たり前過ぎる解釈は御法度にしたい。伝統的と言えば、本作のオフェリアは、グリム童話や、他のヨーロッパの昔話のように、3つの試練に見舞われる。巨木に棲む大蛙、手のひらに目を持つ人喰い鬼、最後の試練はもっと過酷なものだった。本当に怖い存在、残虐さを正当化し、平気で人を殺す大尉こそ最大の怪物であり、最後の試練となる。

 最後にオフェリアは、母の胎内に宿った弟を守ろうとする。童話には“姉力”と言う神秘力がある。本作には、もう一人“姉力”を発揮する女性がいる。家政婦のメルセデスも弟を守るために命を掛けている。彼女たちの“姉力”が、大きな悪を滅ぼす原動力になっていた。

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 オフェリアは本当に王女の生まれ変わりだったのか?

 本当のところは謎だ。目の石を拾った少女だったら、誰でもパンの招待を受けれるのかもしれない。物語はハッピーエンドだったのか?、そうであって欲しいと思う。

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パンズラビリンス/3

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June 02, 2008

豪華衣装にうっとり!スポコン的芸道修行/『ファン・ジニ』5

ファン・ジニ/1





















●ファン・ジニ/黄真伊●
●脚本;ユン・ソンジュ
●演出;キム・チョルギュ
●出演;ハ・ジウォン/チョン・ミソン/チャン・ゾンソク/
    ムン・ションシク/イ・イネ/ユ・ヨンジ/
●DATA;2006年/韓国KBS制作/24回

 NHKBS(日/21時〜)で放映されている『ファン・ジニ』。昨日(6/1)、“雨の別れ”で、童技編が終了した。今回はベタに泣ける!、ティッシュが手放せなかった(泣)。物語前半のあらすじと感想など…。

●あらすじ

 お寺の見習い、チニは10歳、父母を知らなかった。チニは、母に会いたい一心で、仏に三千拝を捧げるほど、強い気持ちの子供だった。チニは皆と外出した折り、松都教坊(技生養成所)で、美しい舞を踊る女性たちを見る。すっかり舞に魅せられたチニは、お寺を抜け出し、教坊に弟子入りを望む。その教坊には、チニの母がいた。チニの母、ヒョングムは、両班と恋仲になりチニを身ごもるが、身分の違いで結ばれることがなく、泣き明かしたすえに、盲目になっていた。また、“技生の子は技生”の掟からチニを守るために、お寺にチニを預けたのだった。教坊の行首(ヘンス=主人)ペンムは、チニが名技ヒョングムの娘であることを知り、またチニに並々ならぬ才能を感じる。ペンム行首は、ヒョングムの反対を押しきり、チニを教坊に引き入れる。

ファン・ジニ/2 
●●

 美しく成長したチニは、16歳になっていた。母と、母の友人オムス楽士に見守られ、チニは、熱心に舞、楽器、書画、詩歌を学んでいた。ペンム行首は、他の童技の誰よりもチニに期待し、厳しく修行されるのだった。

 松都、両班の師弟の学ぶ学問所には、「童技のスカートをお守りにすると、科挙試験に受かる」と云うジンクスがあった。そのジンクスを信じ、学問所の青年たちは、チニら童技のスカートを盗もうとする。その中に、両班の一人息子ウノがいた。チニを見たウノは、一目でチニに心奪われ、チニに手紙を届ける。「身分違いの恋など、辛いだけ」、母の悲恋を知っているチニは迷惑に思うが、だんだんウノの真心に、心を開くようになる。ペンム行首は、「恋の辛さ、悲しみは、芸の糧になる」と黙認し、母ヒョングムは、チニの幸せのため、二人の恋を応援する。

 だが、ウノには両班の娘の許嫁がいた。チニのことを知ったウノの母は…。つづき、あらすじは公式HPでどうぞ!

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●主な登場人物

●チニ;芸の虫。意志の強い頑張り屋。父は両班。
●ウノ;チニに恋する両班の子息。真面目で優しい。
●ヒョングム;チニの母、琴の名手。恋に破れ、盲目に。
●オムス;教坊の音楽教師。ヒョングムを助ける。
●ペンヌ;教坊の女主人。舞の名手。芸道に厳しい。
●ケトン;チニの親友。下働きだが、技生に憧れている。

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 ファン・ジニ(黄真伊)”は、15世紀に実在した女性、妓生名は“明月”。美貌、技芸、書画、詩歌、卓越し、歴史上伝説化している名技だ。最下層の身分の女性でありながら、気高く生きた彼女の人生は、何度もドラマ化、映画化されている。朝鮮王朝時代の定型詩“時調”の詩人でもあり、現在も黄真伊の詩は数編残されている。

 今回の再ドラマ化にあたって、韓国KBSは“女性時代劇”として位置付け、他局時代劇と差別化戦略をとった。豪華衣装や、調度、舞、音楽など、作品の芸術性には、とくにこだわったと云う。チニの生きる世界が、特殊な世界だからこそ、格調高く描かなければならないはずだ。

 技生の世界、そこで遊べる男性は、一部の特権階級だけとは云え、売春の一種なのは、いなめない事実。『ファン・ジニ』は、どうしてもエグイ設定からは逃げられない。ここまでは、爽やかな幼い恋愛が描かれていた。ウノさんは、少年ぽくて、どう見ても中3ぐらいにしか見えない。幼い恋は、儚く消える。この役に、ピッタリの俳優さんだった。


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 ここまでチニは“童技”だった。童技は、日本の舞妓さんと同じで、夜伽はしない。『ファン・ジニ』の前半のクライマックスは、“髪揚(両班旦那衆との一夜婚)”だった。ペンヌ行首の台詞だが、「技生は物を云う花」、技生としての生き方は、人間らしい心を封じた生き方なのだ。『ファン・ジニ』は、実はとっても悲しい物語なのだ。

 と、悲しいと書きながら、『ファン・ジニ』は、宮廷で芸を披露する女楽の座を巡る競い合いの面もあり、修行シーンは相当にハード!。水の中で息を止めたり、油の上を歩いたり、綱渡りをしたり、ロープで逆さ吊りにされたり、衣服が濡れてナマメかしいし、痛い(実際に)シーンも多い。頑張る様子は、古〜いスポ・コンドラマ『アタックNo.1』や、『少林寺三十六房』のようだったりする。後半は、ペンヌ行首が一子相伝で守っている“鶴の舞い”をチニが継承するのか?、芸を巡る戦いは、もっと苛烈になるらしい。一人前の妓生になったチニの豪華衣装も楽しみだ。

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 伝統の朝鮮王朝時代の舞、30種類余をドラマでは見ることが出来るそうで、“剣の舞”を始め、さまざまな宮廷舞は、華麗で見ごたえあり!少し昔、日本のワルオヤジ(?)は韓国キーセン観光などど、恥ずかしい団体旅行をしていたことがある。歴史に残る朝鮮王朝時代の技生は、「芸は売っても心は売らない」、誇り高い職業婦人だった!!。逃れようのない宿命の中で、懸命に生きるチニ。彼女の強さは見ていて心地良い。

 まだ未見の方、来週から新しい話です。是非、御覧ください。

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May 17, 2008

無欲と神性、風景のイコン画家/『ニキフォル』5

ニキフォル/1






●ニキフォル
 知られざる天才画家の肖像●
●原題;My Nikifo

●監督;クシシュトフ・クラウゼ









●出演;クリスティーナ・フェルドマン/ロマン・ガナルチック/ルチアナ・マレク
●DATA;2004年/ポーランド映画/ポーランド語/100分
●受賞歴;第40回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭(チェコ)グランプリ、他多数受賞

 “ニキフォル=Nikifo”、50年前に73歳で亡くなったポーランドの画家。不勉強で、画家ニキフォルがヨーロッパで大人気の画家だと知らなかった。それに、ポーランドの映画をほとんど観たことがない(汗)。本作は、非常にシブイ!考えさせられる映画だ。さて、どんな映画かと言うと…。

●あらすじ

 1960年、冬のクリニツァ。市役所の管理部で美術担当として働くマリアンは、画家としても活動しており、事務所の中にアトリエを持っていた。管理部の上司ノクワは文化省への栄転が決まっており、マリアンも一緒に転勤することになっていた。絵を描くマリアンのアトリエに、小柄な老人が訪れる。彼は挨拶もなく、絵を描き出す。老人の名前はニキフォル、身寄りもなく、住んでいた部屋も追い出されたばかりだった。冬のポーランドの寒さは厳しい。ニキフォルは、お茶もあり、絵の具もあるマリアンのアトリエを、自分の居場所と決めたのだった。マリアンの描きかけのキャンバスに、自分で描いたイコン(キリストの絵)を鋲でとめるニキフォル。

 ニキフォルの絵は、葉書サイズの小さい画用紙に、クリニツァの風景や、聖堂、聖人などを描き、水彩で仕上げたもの。彼は日に3枚づつ仕上げ、路上で観光客に売って、生計を立てていた。追い出してもまた来る、マイペースのニキフォルに、マリアンは困惑する。妥協策として、自宅の物置を、アトリエ兼寝室として、ニキフォルに提供することにする。マリアンには、役場の受け付けをしている妻と二人の小さい娘がいた。妻、ハンカは驚くが、春、クラクフへの引越しまでの間だと言うマリアンの言葉に、ニキフォルとの同居を承知する。

 翌日、役場のアトリエに上司ノクワがニキフォルを連れてくる。新聞に大きくニキフォルの名前が掲載されたこともあり、ノクワは「注目される芸術家だ。面倒を見てやれ」と言う。また「何枚か、絵を貰ってくれ」とマリアンの頼んだりするのだった。

 マリアンは、浮浪者のようなニキフォルに、清潔な衣服を用意し、風呂に入れ、皮膚病の治療をする。また、身分証もないニキフォルのため、戸籍調べに奔走する。ニキフォルの作品と人柄を知ったマリアンは、いつしかニキフォルの面倒を見ることに使命感を持つようになっていた。>>>つづきはDVDでどうぞ!

ニキフォル/3








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 本作は、障害を持つ画家“ニキフォル”が、心優しい後見人マリアン・ヴォシンスキと出会い、共に過ごした最晩年の8年間を描いている。事実に沿ったシナリオなのだろう。画面は、ドキュメンタリー映画のように、淡々と進行する。凝った演出、余分なBGMもなく、説明的な台詞もない。社会主義下のポーランドは、質素で人々の暮しは貧しい。映画では、保養地クリニツァの様子も、路上の退屈な風景として紹介するに留まる。しかし、大聖堂の中に、ニキフォルが一人立ち尽くすシーンだが、その伽藍の荘厳な美しさ!ニキフォルの中の、天国が、怒濤の迫力で迫ってくる。そこで、彼が“アール・ブリュットの聖人”と呼ばれる由縁が判る。

 物語の大半は、冬の風景に支配される。ポーランドの原野を、主人公マリアンの真っ赤な乗用車が走る。厳しい冬の景色の中に、点のように見える小さな赤い車、それは厳しい社会の中での、ニキフォルとマリアンの温かい関係を象徴しているようだった。

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 後見人マリアン・ヴォシンスキは、大学で専門的に美術を学んだ経歴を持つ。彼は、冴えない平凡な地方画家でしかない。マリアンには「魂が産む美術を見抜く審美眼があった」と、本作の映画紹介にあった。だが、私は微妙に違う感慨を持った。絵画そのものと言うより、マリアンはニキフォル、その人にハマってしまった!!と私は感じる。

 画家と言う仕事は厳しい。多くの画家は、画塾経営、教師や他の職業と兼業しながら、絵を描き続けなければならない。貸画廊に作品を並べても、一般画家の絵は、そうそう売れるものではない。成功したいと思うのは自然だ。テクニックやテーマ、時々のトレンド、画風を変化させ、売れそうな絵を描くこともあるかもしれない。マリアンも普通の地方画家で、役場勤務の公務員、だから無名画家の悲哀も苦労も熟知しているはずだ。

 主人公のニキフォルは、マリアンとは対極にある。ニキフォルは成功などの、世俗の欲はまったくない。彼は、専門教育も受けていなければ、絵のテクニックなど、考えたりしない。ただただ、絵を描くこと、それを観光客に売ること、そして生きること、その3点だけで、ニキフォルは出来ている。ニキフォルの中には絵しかなく、その絵のイマジネーションは、教会のイコンがもたらしている。こんなに最強の画家は、なかなかいない!ゴッホは生涯1枚の絵も売れなかった、ロートレックは絵を禁じられた、ダ・ヴィンチは、工夫ばかりしていて、なかなか絵が完成しなかたetc.。最強ニキフォルは生涯40000点の絵を残しているのだ。

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 ニキフォルの作風は、ナイーブアートとして分類されるのだろう。彼には、言語障害があり、文字の読み書きも満足に出来なかった。ニキフォルの絵は、日本の放浪画家山下清に、どこか似ている。見たものを、記憶を、心の中で再構成し、「あれば良いと思えば、そこに駅を描いたり、そこ(アトリエ)にいながら、彼は旅していた」と、映画の中の台詞にもあった。山下清さんの風景画も、ドラマのようにそこで描くことは少なく、アトリエに戻ってから製作されたものがほとんどだったらしい。彼等の絵は、心で描く絵。そして、すべての人の心は奥底で繋がっていると言う。何故、ニキフォルの絵に人気が集まったのか?評価が高いのか?答えは、そこにあるのかもしれない。

 美術公募展の会場で、愛好家らしい奥様が、「写真みたいに巧いわね」と言う。この会話、何度聞いたことだろう。ニキフォルの絵は、現代絵画の価値は、写実とは違うところにあることを教えてくれる。

 小柄なニキフォルを演じるのは、高齢の女優さん!!だと言うのも驚きだった。

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ニキフォル/2

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May 16, 2008

溢れるような幸せ!!作家の理想像/『ミス・ポター』5

ポター/1





















●ミス・ポター/Miss Potter●
●監督;クリス・ヌーナン
●脚本;リチャード・モルトビー・ジュニア
●出演;レネー・ゼルウィガー/ユアン・マクレガー/ル・パタソン/エミリー・ワトソン
●DATA; 2006年/アメリカ・イギリス/92分

 女の子はみんな大好き!世界で一番愛されるウサギは“ピーター・ラビット”だろう。その作者、ビアトリクス・ポターがどんな女性だったか?ピーターの絵を知っていても彼女のことを知る人は多くない。本作は、19世紀末から20世紀初頭のイギリスにあって、自立と成功を勝ち取ったビアトリクス・ポターの若き日の物語。伝記映画と思ったら、素敵なファンタジーだった。

●あらすじ

1902年、ロンドン。水彩紙に、ブルーの色を試し塗りする。何度も何度も、イメージに合う色を探す。ミス・ポターは31歳になる。綺麗な絹の衣装を着ていても、彼女は変わり者だった。ロンドンの富裕層出身のレディたちは18歳過ぎれば、見合いをして、家柄の見合った男性と結婚する。することと言えば、お茶や刺繍、家事と育児…。ビアトリクスの両親も、彼女をそのように育てたはずだった。

 だが、彼女は今、出版社のドアを叩いている。ミス・ポターは、自分の小さい友人であるウサギのピーターの物語を出版したいと考えていた。本の理想は、完璧に頭の中にあった。本の大きさは小さな子供の手に合わせて、小さいもの。沢山の子供が読むことが出来るように、印刷はモノクロの方がコスト安になるだろう。頬を紅潮させ、本の版元に熱弁を奮うミス・ポターを呆れ顔で見つめる二人の紳士は、ウォーン兄弟、出版社の経営者だ。二人の紳士は、「ウサギの本など、3册も売れれば良いところだ」と内心、思っていた。紳士の退屈そうな様子に、絵を仕舞い、帰ろうとするミス・ポターに、紳士は「我が社から出版しましょう」と言った。意外ななりいきに、大喜びするミス・ポター、横には監視役の付き添いの老嬢ミス・ウィギンが、これまた呆れ顔で彼女の様子を見ていた。ミス・ポターの大切な友人ウサギのピーターのことを多くの人は、ただの道楽だと思っていた。
ポター/2

 帰宅してビアトリクスを待っていたのは、口うるさい母と、理解はあるが、保守的な父だった。出版社の人が来訪することを母に言えば、「商売人は、家に埃を持ち込むのでイヤだ」と母が嫌味を言う。この母の口うるささから、たった一人の弟はワイン商の娘と駆け落ちし、勘当同然、結婚しないビアトリクスを家事手伝いに縛ろうとしていたのも母だった。母のイヤミに対抗しながら、ビアトリクスは自室で絵を描くことにした。いつものように画用紙に向かうと、絵の中の友人たちが動きだす。夏の日、一家で過ごした湖水地方の美しい自然、農場、そこで生きる小さい友人たち、ウサギ、アヒル、カエル…、を思い出していた。ミス・ポターの心は、埃っぽいロンドンから離れていた。

 ミス・ポターの家に、ウォーン社から担当者が来訪した。彼はウォーン兄弟の末息子ノーマン、昨日まで病気の母の世話をしていた。若い彼に、ビアトリクスは、自分の本を作るには経験不足では?と、危惧する。だが、話すうちに彼の屈託のない明るさ、育ちの良さや、熱心さがビアトリクスには感じられた。とく、にウサギのピーターを愛してくれたことが、彼女には好ましく思えた。二人の共同作業、名作“ピーター・ラビット”の出版作業が始まった。>>>つづきはDVDでどうぞ!

ポター/3





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 2006年のクリスマス・シーズンに合わせた、美しくて、素敵な物語だ。主役ミス・ポターに、そんなに美人ではないレネー・ゼルウィガーを配し、ウィーン社の末息子は、良い人を演じたらピカ一!!のユアン・マクレガーを配している。この二人の、心温まる交流は、見ているだけで幸せな気分になる。また、ハイ・ミスでウォーンの姉を演じるエミリー・ワトソンも、時代に反抗する自立心の富んだ女性として、楽しく、強く、好ましい演技を見せている。

 ビクトリアン末期のロンドンのファッション、ビアトリクスの子供時代の洋服、子供部屋の調度、ドール・ハウス、お茶の道具、お菓子などなど、この時代のものが大好きな人には、細部のさまざななものが楽しいと思う。DVDを注文しようかと、思案中…だ。

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ポター肖像
 だが、少しでも、ビアトリクスのことを知っている人は、???になるかもしれない。ある人は、この映画に描かれるミス・ポターは、余りに明るく、陰影が足りないことに気づくだろう。本作『ミス・ポター』は、最高の家族映画の一本だと思うが、多くの映画作品がそうであるように、忠実な伝記映画ではない。

 ウォーン家の末息子との交際、実際は4年間、毎日、文通していたそうだが、映画の中では、ほんの数カ月のように描かれる。また、“ピーター・ラビット”の出版までに経緯は、映画ではウォーン社が最初のように描かれているが、実際はそれ以前に出版は開始されている。

 一番、物足らなさを感じたのは、ビアトリクス・ポターは、日本の南方熊楠のように、菌類の研究をしていたことが描かれていなかったこと。彼女はキノコと藻類が共生関係にあることなど、新発見をしていた。、彼女が女でさえなかったら、植物学者として活躍していただろうし、王立植物園で働いていたかもしれない。

 また、ポター家が、合理的ユニテリアンと言う一派に属していたことも、彼女の人物像に違う光が当るはずだ。一番、違和感があったのは、ポター家の母親、ミセス・ポターが、無理解で無知な婦人のように描かれていたこと。実際のミセス・ポターは、水彩画家として、作品を残している。映画では、父親が風景画家を志したとされている。もし、ビアトリクスが存命なら「あら、ずいぶん違うわね!」と言うかもしれない。

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 10年ほど前、湖水地方を旅行したことがある。お化けが出そうな安ホテル(お風呂も壊れていた)に泊まって、湖畔や農園を散策できた。もちろん、お目当ては、ビアトリクス・ポター、彼女が愛したヒル・トップの自然を体験することだった。彼女が最晩年に過ごして、現在、公開されている小さな農家も見ることが出来た。内緒だけど、道の小石を1つ、ポケットに忍ばせた。

 映画の中の農家は大きいものだったが、私が見た家は、イギリスの田舎にある小さな、小さな、石づくりの家だった。天井も低く、中は質素!!家には、彼女のものだった古いドール・ハウスがあった。見事だったのは、宿根草が主体の夏の花壇!!。自然を活かした配置や、背の高い草花は、日本では見ない、野性的で美しいものだった。きっとビアトリクス・ポターの趣味を残した庭だと思う。この雰囲気はターシャ・チューダと共通している。

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 世界で一億冊以上販売された『ピーター・ラビットシリーズ』、父母の遺産に加えて、その印税で16KM2の土地、農園を保存し、国に寄付。優れたナショナル・トラスト運動家としてのポターの仕事は、どんな賛美も足りないほどだ。ピーターが世界一愛されたウサギなら、ミス・ポターは世界で一番幸せな芸術家だと思う。

 あ〜〜〜、、、また湖水地方にイキタイヨ〜〜!!

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ポターの絵

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May 15, 2008

痛みとスキャンダルさえも芸術!/『フリーダ』5

フリーダポスター






































●フリーダ●
●監督;ジュリー・テイモア
●出演;サルマ・ハエック/アルフレッド・モリーナ/アントニオ・バンデラス/
    エドワード・ノートン/ジェフリー・ラッシュ
●DATA;アメリカ、カナダ、メキシコ/2002年/123分

 画家や芸術家の生涯を描いた作品をまとめて観たいと思ってレンタルした中の1本。DVDで鑑賞。メキシコを代表する女流画家、フリーダ・カーロの生涯を描いた映画。彼女の作品が生まれる背景が、ドラマチックに描かれている。

●あらすじ

 1925年、18歳のフリーダは活発な高校生、ボーイ・フレンドとの恋愛に夢中だった。学校近くの劇場では著名な画家ディエゴが、モデルと壁画製作中に恋愛活動中…、フリーダはそんな二人をこっそりと覗き、ボーイ・フレンドと大笑いしていた。

 ドイツ系ユダヤ移民の父と、メキシコ人の母の間に生まれたフリーダは、両親の愛を一身に受けていた。1925年9月17日、下校途中、フリーダとボーイ・フレンドの乗ったバスは大事故を起こす。ほぼ全身(肋骨・鎖骨・背骨・骨盤、右足など)の骨折、彼女の下半身を鉄パイフが貫いていた。瀕死の重傷を負ったフリーダの全身は石膏で固められ、身動き出来ない辛い闘病生活を余儀なくされる。事故の中、怪我のなかったボーイ・フレンドは、フランスに留学してしまう。傷心のフリーダは動く手で石膏に絵を描き出す。それを見た両親は、フリーダに絵の道具をプレゼントする。

 やがて、杖をついて歩けるようになったフリーダは画家を志し、旧知の画家ディエゴを訪ねる。ディエゴはフリーダの描いた自画像を見て、非凡な才能を感じる。共産党員のディエゴは、自らの壁画制作もプロパガンダの一環と考えていた。フリーダはディエゴの政治活動に共鳴し、やがて二人は愛し合うようになる。しかし、ディエゴは、モデルと必ず寝るような、博愛主義者(?)だった。それは、最初からフリーダも知っているのだが…。

 フリーダの絵はだんだん評判となり、パリ画壇にデビューする。華やかな美貌の画家、フリーダ…、しかし彼女の身体は、繰り返される手術のために悲鳴をあげていた。堪え難い痛みと闘いながらも、彼女は作品を描き続ける。>>>つづきはDVDでどうぞ!

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 フリーダを演じたサルマ・ハエックさんは、アメリカで活躍するメキシコ人女優。彼女が10年に渡り、製作にこだわった映画が『フリーダ』だったそうだ。フリーダ独特の眉毛以外は、サルマさんは余り似ていない。彼女は小柄ですごく可愛いフリーダ像を演じている。実際のフリーダは女神のような強靱さと精悍さを合わせ持った雰囲気の女性だ。だが、映画の中でサルマさんは、フリーダそのものになりきっている。

 映画の中でのフリーダは苦しみの中でも、人生の素晴らしさを謳歌している。包帯や点滴、手術を描いた作品のイメージから「苦難の人生を送った画家」と言う印象が強かった私には、新鮮で幸せな映画だった。作中に実際の作品とフリーダがCGで融合する演出がなされているが、サルマさんのフリーダが作品と同化し、美しく、幻想的!!重苦しいシーンにアニメーションを取り入れ、フリーダの人生そのものを芸術として見せている。映画の画面、一つ一つが絵のようなシーンが多く、観ていた刺激になった。

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フリーダ

 物語の冒頭、フリーダの家の中庭が登場する。花が咲き乱れ、孔雀の遊ぶ小さな中庭は本当に美しく、彼女が幸せな家庭に育ったことが判る。この庭の描写はフリーダの内面とリンクし、たびたび登場する。現在は、フリーダ博物館として多くの人が訪れているそうだ。

 ディエゴの実作は観たことがないが、同時代に活躍したシケイロスの作品は回顧展で観たことがある。思想性が強く、原初的で、激しい作品だった。メキシコは強い太陽と原色の国と言うイメージがある。家の壁面や室内、インテリアに原色を多様する。その明るい色彩感の底に、死の臭いが強くするのもメキシコ文化だ。長くスペインの植民地だったメキシコはネィテイブ・メキシコ人支配のために、強くカソリック信仰を勧めた国の1つだ。アステカ文明の遺跡の上に教会を立てるが、アステカ文明のDNAはキリスト教に異質な変化を起こさせる。過剰なゴシック装飾とオカルト的な祭儀がメキシコのキリスト教には見られる。フリーダが共産主義者だったと言うことは、芸術的に大きな意味があると思う。彼女の作品はメキシコの風土が産んだものだが、自由で、タブーのない作風は革命的だ。

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 フリーダのファッションがすごく可愛い!!色彩、ファッション、インテリアetc.、美術に興味ある人には必見の映画!!

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フリーダ映画

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May 10, 2008

選民思想の恐怖と愚かさ…。/『ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア』5

ニュルンベルグ裁判




















●ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア●
●監督;ハインリッヒ・ブレロアー
●出演:セバスチャン・コッホ/
    トビアス・モレッティ/
    ダグマー・マンゼル
●DATA;2005年/ドイツ/360分

 本作は、ヒトラーと幻想をともにした建築家“アルベルト・シュペーア(1905〜1981)”をドラマ化したもの。内容は、再現ドラマを中心に、戦前の記録フィルム、関係者のインタビューで構成されている。さて、どんな構成になっているかと云うと…。(上の画像は、ニュルンベルグ裁判の記録写真)

●作品構成
ヒトラーの建築家
■第1部/戦争の記憶
 1930年、若き建築家アルベルト・シュペーアは、参加したナチ党大会でヒトラーを知り、彼の理想に魅了される。シュペーアは、国家社会主義ドイツ労働者党に入党するが、妻はどこか心が晴れない。その後、ゲッペルスの宣伝省改修の仕事をしたのをきっかけに、ヒトラーと昼食をともにする機会を得る。

 建築家を目指したことのあるヒトラーは、シュペーアの才能を愛し、1934年の党大会の演出など、重要な仕事を任せるようになっていく。シュペーアの演出は、素晴らしいもので、人々は熱狂する。1939年、国土の拡大を目論み、ヒトラーによる周辺国への侵攻は始まっていた。建築総監となっていたシュペーアと家族は、山荘で寛ぐヒトラーに招かれる。一家は、他の官僚とは違う親しい関係になっていく。1942年、軍需大臣が乗った飛行機が墜落し、同乗するはずだったシュペーアは、建築総監から軍需大臣に任命される。

■第2部/ニュルンベルグ裁判
 1945〜46年、実際の音声、映像にドラマを合成。裁判の詳細が明らかに。

■第3部/牢獄のシュペーア
 1946〜66年、ベルリンのナチ戦犯だけの牢獄。ヘスとの奇妙な友情を描く。

■第4部/ドキュメンタリー(シュペーアの実像)
 戦後、発見された資料をもとに、社会学者・歴史家による分析。
>>>つづきはDVDでどうぞ!

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 人類史の中で目をそらしたいのに、注視してしまうものがある。怖い、見たくない、でも見なくてはいけない。その代表が“アウシュビッツ絶滅収容所”だ。

 ドイツは大好きな国の1つだ。旅行した時、牧歌的な風景や親切な人たち、文房具や玩具が魅力的で、心底素晴らしい国だと思った。だが、60余年前、この国は地獄の使者に支配されていた。ドイツは日本と同じく、他国への侵略と戦争犯罪の過去を持つ。

 人間がどこまで、無慈悲で、残酷になれるのか?

 歴史は、目を覆いたくなる事実を教えてくれる。今朝(08,5/31)の未明、NHK総合で『世界遺産』の番組を放映していた。“負の世界遺産”として紹介されていたのは“アウシュビッツ絶滅収容所”と“ヒロシマ原爆ドーム”。貴重な生存者の証言と解放直後の記録フィルムが淡々と映し出された。数トンにも及ぶ女性の頭髪、数十万足の靴、大量の衣服、アウシュビッツの様子は、どんな地獄が地上に出現したのか…、とうてい言葉で言い表せるものではない。

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アルベルト・シュペーア
 本作『ヒトラーの建築家  アルベルト・シュペーア』は、“何故、ドイツの国家犯罪と悲劇が起きたのか?”を、ヒトラーの友人であり、側近だった建築家シュペーアと、彼の家族を通して描いている。

 彼、“アルベルト・シュペーア”は、25歳でナチ入党、建築総監、軍需大臣で終戦を迎える。戦後は、戦犯として20年の服役、出所後、自伝『ナチス狂気の内幕-シュピーアの回想録』『第三帝国の神殿にて』を出版した。

 本作は、その自伝を徹底的に検証する。日本の番組では、「これほど戦争犯罪者の子供に取材をしないだろう」と思うほど、番組は執拗にシュピーアの息子2人、娘1人の証言を求める(現在、建築家や医師、教育学者などとして活躍している)。質問意図は、シュペーア一家には、残酷なものだ。「アルベルト・シュペーアは、アウシュビッツなどの強制収容所での残虐行為を知っていたか?」、幾度もこの問いは繰り返され、「おそらく知っていただろう」「父は嘘をついていた」と、惨い答えを引き出していく。

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 第1部では、シュペーア一家が、ヒトラーの山荘で過ごす様子が登場する。撮影者は、エバ・ブラウンだったり、プライベートなフィルムだ。シュペーアの子供たちは、可愛い民族衣装を着て無邪気に遊んでいる。インタビューに答えていた娘さんは、まだ小さい少女で、ヒトラーの隣で楽しそうに笑っている。このフィルムを観た娘さんは、「まったく記憶に残っていない」と証言した。シュペーア一家の子供達は、戦中の記憶を封印し、戦後を生きてきた。ヒトラーとの関わりは、思い出として残っていない。それだけ、世間の好奇の目に曝されていたのだろう…。

 第2部では、敗戦近い1944年、しだいに狂気の世界に踏み云っていくヒトラーと、施設の破壊を阻止しようとするシュペーアとの確執が描かれる。ヒトラーの狂気の源は、この世に創りようのない幻想の理想郷“第三帝国”への執着だ。その実体化に、建築家“アルベルト・シュペーア”は、非常に深く関与している。軍需大臣となったシュペーアは、強制収容したユダヤ人を使い、大型ミサイル工場を作る。ヒトラーは完成したミサイルをニューヨークに落とす予定だった。(※このロケット型ミサイルの開発技術に関わったドイツ人科学者たちが、ソビエトとアメリカの宇宙ロケット開発の中心になる。それほど、高い技術力を持った集団だった。)

 第3部のニュルンベルグ裁判の様子も、興味深い。戦争犯罪人としてただ一人、自分の罪を認め、ヒトラーの犯罪行為を証言したシュペーアは、他のナチ戦犯から孤立していく。罪を認めていながら、生き抜くことを考えているシュペーアの姿は、哀れで、時には滑稽でさえある。彼は、敗戦の直前「私はドイツ復興のために、連合国側にも必要な人材だ」と楽観的なことを云っている。彼は自分の罪科(強制収容所への関与)を自覚していない。その無自覚な認識下で書かれた自叙伝は、彼がナチスの中でも、「実は良い人」的な印象を人に与えている。

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 物事が勢いづくことを“火に油を注ぐ”と云う。ヒトラーが火なら、建築家シュペーアは油だった。この二人を中心に、心臓部の手足となったのが他のナチ幹部たち。その狂気の構図が、本作では明確に解きあかされていく。

 ベルリンのヒトラー公邸には、シュペーアの作った第三帝国首都ベルリンの都市計画模型が置かれている。一部屋を占領するほど大きい模型は、巨大で壮麗!!、巨人の住処のようだ。古代ローマの神殿や、コロッセオ、バチカンのドームなどをモデルに、誇大妄想じみた巨大な建造物が立ち並んでいる。15万人収容の競技場、ドーム頂上は300mになる中央庁舎、それらを建設するために、大量の石材と労働力、さらにベルリンの土地が必要になる。だから、いくらベルリンが空爆されようが、ヒトラーはまったく動揺しない。焼け尽くされれば、それだけ新しい建物を作ることが容易になるのだから。

 建築計画のためにユダヤ人居住区が立ち退きを求められ、建築建材の巨大石材を切り出すためにユダヤ人強制収容所が作られる。ユダヤ人の絶滅収容所の初期目的は、ヒトラーの巨大建築妄想実現の実現のために始まっていた!。そのアイディアを、具体化して実行したのが、建築家(軍需大臣)シュペーアなのだ。

 理想の都市づくりを計画しながら、人の住む場所を考えない愚かさ。愚かさを、ヒトラーとシュペーアは最後まで気づいていない。これは本当に恐ろしい!!。だが、よく考えてみたら、日本のハコ物好きな官僚、政治家は、ヒトラーとシュペーアと同じではないのか?不必要な建物で、どれほど国民の血税、国民年金が浪費されたことだろう…。

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 若き日のシュペーアの肖像をレニ・リーフェンシュタール(1936年/ベルリン・オリンピック記録映画監督)が撮影している。

 真直ぐ正面を見る目はナイーブな印象、彼は育ちの良いで人の良い好青年に見える。本作にレニは証言者として出演。レニは、「出所後のシュペールを同じように撮影したのよ。彼は少しも変わっていなかったわ」と語る。シュペール晩年の写真と、若き日の写真は、画面で重ねられる。育ちの良いナイーブな印象は、少しも変わっていなかった。

 シュペールは現実の時間を生きていたのか?
 幻想の中で、幻想の時を重ねてきた現実逃避家なのか?

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 ドイツを知ることは、同じ敗戦国だった日本を知ることに通じる。この作品は、見なければならない歴史ドラマの1つとして長く語られるだろう。ドイツでは、今もナチス当事者の戦争犯罪を究明して、二度と同じ過ちを起こさない努力を続けている。だが、日本では、戦犯軍人を英霊として悼む。この差は大きい。

 ナチス・ドイツのことを書き出すと枚挙のいとまがない。書き足らない、云い足りない部分はのちほど加筆修正することにする。

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March 24, 2008

少女の夢と異界への誘い/『ピクニック at ハンギング ロック』5

ピクニック/1



●ピクニック at ハンギング ロック
●監督;ピーター・ウィアー
●脚本:クリフ・グリーン
●出演; レイチェル・ロバーツ/アン・ランバード/ドミニク・ガード



少女映画の名作!1975年度作品『ピクニック at ハンギング ロック』。
以前、『澁澤龍彦愛好会』なんて不埒(笑)な同好会を友人三人と作っており、便箋や封筒、目録など作ったことがある。その時の友人の一人がこの映画の大ファンだった。公開直後ではなく、レンタルビデオで鑑賞。もう、記憶が薄れるほど昔のこと…。

●超簡単な内容紹介
1900年、オーストラリアで実際に起きた事件の映画化。全寮制の女学校の生徒たちが、ピクニックに出かける。その中に三人の女生徒と教師が岩山の中で行方不明になってしまう。

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ピクニック/2

制作年度1975年。「刑事ジョン・ブック」、「トゥルーマン・ショー」、「マスター・アンド・コマンドー」などのピーター・ウィアー監督作品だ。どの映画も興趣深いものだったが、この一番古いオーストラリア時代の本作は、格別素晴らしい雰囲気が漂う。19世紀の最後の年、1900年の2/14(聖バレンタインの日)に厳格な寄宿制の女学校の生徒たちが、タイトルになっている岩山にピクニックに行く。このシーンが美しく、そして怖い。パンフルートの音は、なんであのように不思議な気持ちにさせるのだろうか…。



実際に起きた行方不明事件を題材としている。なぜ、消えたか?どこに行ったのか?まったく分からない。前半は、思春期の少女たちの乙女チックでミステリアスな雰囲気が濃厚に漂い、萩尾望都さんのコミックの世界のような耽美な映像が続く。ビクトリアン期と言う大英帝国最後の繁栄を描く時、なんでこんなに少女たちが美しいのか?スローモーションや引きのカメラワークが丹念に時代の空気感を描いて行く。教師が「ボッティチェリのエンジェル」とつぶやいたミランダの中性的な美しさは必見!失踪事件後の少女達の動揺、目撃者の青年の言動、校長先生の苦悩なども、物語が実際に起きたものであることを実感させ、じわじわした恐怖心を感じる。

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ピクニック/3

現場の『ハンギングロック』は映画の後、観光客で賑わっていたそうだ。観光写真で見たが、実際に行った人の印象は、同じ様な岩が重なる不気味な場所だと言うこと。映画ではミランダが岩に中に消えていくような場面があったが、そんなことが起っても不思議ではない場所とか…。



日本ではこのような現象を『神隠し』と言う。欧米では妖精の踊りの輪に入ると、妖精の世界に引き込まれると言われている。きのこが丸く自生した場所は、妖精の踊り場とされ、不吉なので近寄らないらしい。アイスランドの伝承、ヒドゥンピープルは隠れ里に棲む人のことだが、そこに行って帰らないこともあると言う。実際の神隠しは、何かの犯罪に巻き込まれたり、獣に襲われたり、事故にあったりetc. そんなことが原因だと思う。しかし、この事件の現場、『ハンギングロック』には事件になるような要素がほとんど見当たらない。オーストラリアには、大型の肉食獣は棲んでいない。また現地のアポリジニの人たちは善良で暴力的なところのない人たちだ。足を滑らせたなら、4人もいなくなるのは不思議だ。

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ピクニック/4

この映画は、不思議な感覚に捕われる。謎ときは出来なくとも、「こんなことがあるかもしれない…」と思わせるオーストラリアの雄大な自然、そしてオーストラリアには不似合いな西洋文化な少女達の違和感。神隠しにあったとしても少しも不思議でないように思える。アポリジニの人たちは、自然に霊=神が宿ると、岩を信仰の対象にしている。有名なエアーズロックも彼等には大切な聖地なのだ。

アポリジニの人は『夢』を現実と同じように大事にしている。私たちは現実の世界を生きていると同時に『夢』の世界でも生きている。映画の冒頭『見えるものも、私たちの姿も、ただの夢、夢の中の夢』とナレーションが語る。この世は神の見ている午睡の夢、インド神話ではそう言う。この『ピクニック at ハンギング ロック』は、現実に下に、確実にある異界の存在をリアルに感じさせてくれる。何故少女たちが消えたのか?それは少女の時が、一瞬の夢でしかないから…、そんなことを感じてしまった。

未見のビクトリアン好き&ムー好きの人!この映画を見ないで死んではいけない!(笑)。DVDが発売されているので、大きなレンタルショップにはあるかもしれない。名作です!!

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ピクニック/5

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March 19, 2008

でっかい目でウルウル、美少女怪談系!?/『人形霊』3

人形霊








●人形霊●

●英題;The Dall Master
●監督;チョン・ヨンギ
●出演;イム・ウンギョン/
 キム・ユミ/オク・ジョン/
 シム・ヒョンタク/
 チョン・ホジン 他
●DATA;2004/韓国/89分


 前世からの因果応報的復讐劇に人形味(?)を加えた韓国ホラー。

 この作品には2つのタイプの人形が登場する。等身大の生き人形、SD(スーパー・ドルフィー)タイプの人形。これらの人形はとっても日本的!?。ヨンハが大事にしているデミアンは、スーパー・ドルフィーに似た韓国製の球体関節人形を使用している。また、等身大の生き人形は、実際は人形ではなく、女優さんが演じていた。
 
 てな訳で、見ちゃったので、あらすじと感想など…。

●あらすじ

 日本と韓国に不幸のあった昭和初期、遊廓の女性と人形師の間に悲恋が生まれた。二人は不幸な死を遂げ、愛された人形だけが残った。その人形は恋人の姿を写した生き人形だった。時は流れ、生き人形の記憶は人々から忘れ去られていった。

 山奥の林道を走る乗用車。彫刻家のヘミは、モデルになるために、人里離れた人形美術館に向かう。途中、職業モデルのテスンを車に乗せることになり、彼も、美術館に招かれたことを知る。人形美術館には、写真家のホン、学生のソニョン、人形を抱いているヨンハが集まっていた。ヨンハは自分の人形にデミアンと名付け、生きた少年のように扱っていた。

 チェ館長に案内され、中に入る6人。美術館の中には、人を見間違るような等身大の生き人形と、60cmほどの精巧な人形が展示されていた。写真撮影が始まる早々、ヨンハはヒステリーを起こし、失神してしまう。撮影は中断され、各自、部屋に案内されるが、部屋には無気味な装飾が施されていた。夕食の席に現れた美術館の主チェオンは、足の不自由な若い女性だった。彼女は、人形師で、この美術館の人形は、チェオンの作品だった。

 その晩、ヨンハの大事な人形が壊れててしまう。ヨンハの人形の目はくり抜かれていた。ヨンハは、「デミアンは殺された!」と半狂乱になってしまう。それは、これから始まる復讐の前触れでしかなかった。ヘミの前に、赤いワンピースの少女が現れるようになる。彼女はナミと名乗り、悲しそうな眼差しをヘミに向けるのだった。人形師の目的は?誰が、デミアンを殺したのか?そして、ナミは?>>>つづきはDVDでどうぞ!

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 ジャパニーズ・ホラーは、不条理な恐怖だったり、異界からのメッセージが潜んでいる。音響効果もあり、意味もなく、根源的な恐怖心を掻き立てる。しかし、韓国ホラーは少し違う。ホラーに限らず、韓国映画には“復讐劇”が多い。

 朝鮮民族を語る時に“恨の心”を忘れてはいけない。歳月が流れても、“恨の心”は能動的だ。この物語の底にも、“恨”が流れている。本作『人形霊』の世界は古典的で、ある意味、理路整然としている。それゆえか?残酷なシーンもあるが、恐怖は少ない。

 もう1つ、本作が題材としたのは、都市伝説『リ?ちゃん』。有名な話なので、ほとんどの人が御存じだと思う。引っ越しで捨てた人形が、チャッキー(笑)のように、転居先まで訪ねてくる話(?)。余り書くと、ネタバレになってしまうので、ここまでにする。


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 見どころは、ミナちゃん役イム・ウンギョンさんのデッカイ目!!。あんな大きな目でウルウルされれば、大抵は親切にしたくなる。だが、ヘミの薄情なこと!!。主役はヘミだと思っていたのだが、実はミナちゃん?。ウンギョンさんは、美人の多い韓国映画界でも、人気の美少女らしい。本当にお人形さんみたいに可愛い!勿論、本物の人形、デミアンもけなげで可愛い!。

 本作『人形霊』で不思議に思ったのは、“人形の殺し方”を紹介していること。もともと命のない人形を殺せる訳はない。どこかの民間伝承?、出典も不明。アメリカドラマ『スーパー・ナチュラル』でも、しばしば人形が登場する。エピソードで、心を宿した人形を浄化するシーンがあった。彼等が、普通に塩と火を使っていた(日本も同じ)。ちなみに、人形コレクターにとってお人形さんは“財布殺し”と呼ばれている(大汗)。

■■■

 最後に、脱線しちゃうのだが、

 日本の人形文化は独自は発達を遂げている。他のアジア諸国で、雛人形や、市松人形のような美術品のような人形文化は多くない。強いて言えば、中国の墳墓から、ミニチュアの家財道具や、三つ折れ人形に似たリアルな木製人形が出土されている。あの世での、召し使いや家財道具だ。主人と一緒に埋葬するものなので、日本的な人形文化とは違う。

 ヨーロッパでは、フランス人形やドールハウスなどの人形文化がある。意外と日本文化の影響もあり、フランス人形には輸入された市松人形を参考にしたものもあった。また、ヨーロッパは、教育玩具的な側面も強く、日本の人形文化ような“呪物であり、玩具でもある”と云った側面はない。

 さらに脱線だが、私が、初めてドールハウスを知ったのは白黒画面の“トワイライト・ゾーン”系の30分ドラマだった。このドラマの独特の恐怖感は、本作『人形霊』とは異質なものだった。

 ミナちゃんの大きな目は必見もの!。他の楽しみは薄いかも…(汗)。

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September 09, 2007

青春してる美少女版オーメン!?/『ポイントプレザントの悪夢』4

PPの悪夢/1




















●ポイントプレザントの悪夢
●原題; Point Pleasant vol.2
●制作;ジョン・マクラフリン/マーティ・ノクソン
●出演;エリザベス・ハーノイス/グラント・ショウ/サミュエル・ペイジ 他
●DATE;2005年 アメリカTVドラマ 全13話 7巻

 レンタルしたDVDにおまけで第1話が収録されていた。悪魔ものは一応チェック(?)しているので、サービス・ディーにまとめてレンタル。7月に見て、今頃感想など(汗)。

●あらすじ

 ニュージャージー州、ポイントプレザント。

 夏休みのビーチは、たくさんの若者で賑わっていた。高校生のジェシーとテリーはライフガードのアルバイトをしていた。ジェシーの恋人ホリーがジェシーを誘うが、真面目なジェシーはそっけない。ジェシーの父は保安官をしており、彼は正義感の強い若者だった。そこに、突然の嵐がやってくる。ジェシーは荒れる海に人が漂っているのを見つける。

 助けられた少女は、医師ベンの家に運ばれる。ベンはジェシーのクラスメート、ジュディの父だった。少女の名はクリスティーナ。ニューヨークの高校生、旅行中に過って「船から落ちた」と言う。ジュディの姉イザベルが海で死んでから、母メグは落ち込みがちだった。しかし、クリスティーヌの出現で、メグは見違えるように元気だった。また、容姿に自信がなく消極的だったジュディも、都会的なクリスティーナと一緒にいるだけで、積極的になれるように感じていた。

 クリスティーナは執事を二人暮らし。父は商用で外出がちだった。また母親は、クリスティーナが赤ちゃんの頃に失踪したと言う。クリスティーナが助けられたポイントプレゼントは、母の生まれ故郷だった。そのことを知ったジュディは「夏の間、私の家に滞在したら良い」と提案する。ジュディの母は大喜びで彼女の部屋を用意するのだった。

 その晩、二人は海辺のパーティに出かける。火の廻りで騒ぐ若者たち、仲の良いホリーとジェシーを見て、クリスティーナの目が怪しく光る。その直後、ジェシーの車がガソリンスタンドで火に包まれる。同乗していたホリーは危うく難を逃れるが、それはこの町に起る不幸な出来事の序章に過ぎなかった。

 ジェシーの母はポイントプレゼントの観光ガイドをしていた。観光客を案内中に、引っ越してきたばかりのボイドに話しかけられる。その後、奇妙なことが起る。普段は話すことのないポイントプレゼントの歴史、陰惨な過去の事件を話してしまう。観光客は眉をひそめるのだった。

 クリスティーナの出生の秘密は?そしてボイドの正体は? >>>>つづきはDVDでどうぞ!

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PPの悪夢の/2












 日本的に言えばアイドル系ドラマ。半分悪魔と言えば『デビルマン』の不動明だが、本作では金髪碧眼の美少女が主人公。主要人物は高校生とその親たちだ。アメリカではティーン・エイジャーを主人公にしたホラーが人気(?)なんだそうだ。主人公を演じるエリザベス・ハーノイズは、金髪で可愛い美少女だが、いかにもアメリカ人的な女の子(時々見せる表情がパリス・ヒルトンや他のお騒がせアイドルに似ている)。都会的で快活、オカルトの主人公としたら、神秘性に欠けるかもしれない。

 意外と可愛いのが、おさげの眼鏡っ子だったジュディ。クリスティーナのアドバイスで髪型を変え、どんどん積極的になっていく。この物語の中では一番良い役のように思ったりする。初回、女の子のビキニ姿がたくさん映るのだが、視聴率稼ぎ「掴みはOK!」と言っているみたいだった(笑)。巧く作れば、もっと良い作品になっただろうと思う点が沢山あり、やや残念。オカルトは耽美系にしてもらいたい(?)。「ビキニより違うエロスがあるだろ〜!?」と、突っ込みを入れたくなったのだった。青春ものとオカルトを同時に描くのは難しい(笑)。

■■■

 本作は“666”の痣を持つ悪魔の子供『オーメン』のバリエーションになる。

 “666”は有名な『ヨハネの黙示録』の中にある最後の審判の前に現れる獣を表す数字。オカルト学的にヒットラーが「その獣だった」と言う説もある。西暦2000年グランド・ミレニアム直前に反キリストの盟主“悪魔のプリンス”が何処かで生まれると占星術師が言い出したこともあり、“666”は格好のテーマとなっている。※占星術師の言う反キリストは1963年6月生まれとか(笑)。

PPの悪夢/3
 本作『ポイントプレザントの悪夢』は、悪魔の父と人間の母を持つ主人公クリスティーナが、自分の中の悪魔性と戦う側面を持つ。「普通の女の子のままでいたい」と願うクリスティーナ…。だが、過酷な運命は彼女を孤立させていく。

 『オーメン』などの類似作品では悪魔の子は最初から悪魔としての本性を持つが、クリスティーナは少し違う。彼女は普通の女の子で、恋もしたいし、生き別れた母とも再会したいと願っている。

 しかし、彼女と関わりを持った人たちは、隠された欲望を押さえることが出来なくなる。それが悪魔のパワーだとしたら、今は悪魔パワー全開の世の中?!。『オーメン』のダミアンは悩まないが、クリスティーナは自分の存在を悩む。悪魔の子だが、“邪悪でない”と言うのが、本作の特徴かもしれない。逆にバチカンの戦士らしい謎の組織が後半登場するが、この人たちは意外とサイコで危ない雰囲気。半分悪魔なのに、可愛くてケナゲ!、視聴者はクリスティーナに同情する作りとなっている。

■■■

 全13話はTVシリーズとしてはかなり短い。

 低視聴率でシーズン2が作られることがなかったらしい。ラスト・シーンはどう見たって、『つづく』の文字が似合っていた。裏切られた後のクリスティーナのキレッぷりが見物!悩める悪役ボイドのサイド・ストーリーももっと見たい。住民はどうなったのか?そもそも謎のバチカンの組織って何?気掛かり度100%!?

 完全覚醒したクリスティーナの勇姿が見たかった。

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July 15, 2007

青年の顔になったハリーたち/『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』4

不死鳥/1

















●ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団●
●原題;Harry Potter and the Order of the Phoenix
●監督;デビッド・イェーツ
●脚本;マイケル・ゴールデンバーグ
●出演;ダニエル・ラドクリフ/エマ・ワトソン/ルパート・グリント/
マイケル・ガンボン/アラン・リックマン/イメルダ・スタウントン 他
●DATE;アメリカ/138分/:ワーナー・ブラザーズ

 高崎109シネマズにて,先行上映で鑑賞。大型台風も大過なく通過したが、災害地域の皆さんは本当にお気の毒だ。もうすぐ選挙だが、治水や災害対策に強い政府って本当に必要なことだと思ったりする。権力闘争に明け暮れていると、悪の本質が見えないことになる(?)。って、今回のハリーは悪の本質!?が見えてくる。

●あらすじ

 夏休み、またペチュニア叔母さんの家に帰省しているハリー、彼は毎夜、悪夢に悩まされていた。一人、公園にいるハリーのところへ、従兄弟のダドリーが仲間たちと一緒に嫌味を言いに来る。相変わらずのダドリーの態度に怒りを抑え切れないハリー…。ハリーの心に呼応するように空が暗雲に包まれる。急の雷雨の中、異様な気配に逃げるハリーとダドリー、二人にディメンター(吸魂鬼)が襲いかかる。

 守護霊召還の防御魔法で、なんとかディメンターから逃れたハリーだったが、帰宅した彼に魔法省からの手紙が届く。その内容は「17才未満の魔法使いはマグル(一般人)の前では魔法禁止」の法律を破ったハリーに、「魔法学校の退学」を通告したものだった。一方的な処分に、ダンブルドアは異議を申し出、ハリーは魔法省での裁判に出廷することになる。何故、アズガバン監獄を守るはずのディメンターが、マグルの住む街に現れたのか?それはこれから始まる死闘の前触れなことをハリーはまだ知らなかった…。>>>つづきは映画館でどうぞ!

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 前回の『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』では、全面に陰鬱な雰囲気が充満していた。悪の復活、仲間の死も含め、魔法の世界のダーク・サイドがひしひしと感じたが、今回は少し違う。ハリーたちの属する魔法使いの世界も、やはり人間の世界と同じようだった。権威主義、事なかれ主義、政治的な思惑がハリーたちを悩ます。そして、欲望や思い込みが、本質を見る眼を曇らせることが描かれる。

 ハリーがまだ11才だった頃の魔法学校は、驚きと楽しさが溢れていた。5年生になったハリーたちは以前のように無邪気ではいられない。今回はとんでもない破壊者(いつもどおりあの課目の先生だ)の登場で、ダンブルドア校長にも危機が訪れる。また敵との戦いも心理戦の様相もあったりで、以前のハリー映画にあったスカッ!とした雰囲気にはならないのだ。

 スカッ!としない部分(?)、物語はいままであった子供っぽい楽しみ(競技会やいたずら、クリーチャーetc.)が失われ、もっと違った部分がクローズアップされている。ハリーたちの大切なものは?それは友情だったり、愛する心だったり、本当に守りたいものだったりする。「魔法が使えたら、なんでも出来る」と言ったマグル(?)的幻想は消え、魔法と言う攻撃力をどうにコントロールするか?また何のために使うのか?と言ったことを、ハリーたちは考えることになる。

■■■

 第1作『賢者の石』での可愛い少年は、本作『不死鳥の騎士団』ではすっかり大人の雰囲気が漂っていた。ハーマイオニーやロンに比べるとハリーはずっと大人びているように感じる。それは彼が主役である重圧もあるだろうが、ハリー役の持つ苦悩(ヴォルデモートとの因縁)が、年よりも彼を大人に見せるのかもしれない…。今回も良い味を出しているダドリー!他、彼の両親(笑)。ペチュニア叔母さんの部屋着は必見!!あんなの日本では売ってないよ〜〜〜(爆)。

 今回は、今までの回想シーンもあったりで、原作にほぼ忠実な作品になっているようだ。スネイプ先生の嫌味&イジワルも、実はなかなか訳有りだったりするもの今回明らかになる。新しく登場する悪の魔女は、ティム・バートン監督の『ビッグフィッシュ』で森の魔女を演じたあの人、眼力といかれたオーラはなかなかステキ!!魔法アクションがなかなかの迫力!ちょっとSF風にも見えたハリーの新作だった。

 現在放映中のTVCMはちょっと的外れな感じもする。そこが残念!

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不死鳥/2

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